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ジョゼフ・メリック ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick1862年8月5日 - 1890年4月11日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで、今日では主にプロテウス症候群が原因と推測されている身体の極度な変形、膨張から「エレファント・マン」(The Elephant Man)として知られた人物。彼を最初に診察した医師フレデリック・トレヴェスがまとめた回想録を基に作家のバーナード・ポメランスが戯曲にした事から世に広まり映画化され、広く知られるに至った。 == 幼少年期 ==
=== 出生と両親の出自 === 1862年8月5日、イングランド・レスターで、ジョゼフ・ロックリー・メリック (Joseph Rockley Merrick 1838-97) を父、メアリー・ジェイン (Mary Jane 旧姓ポタートン Potterton 1837-73) を母として生まれる。父の名と、バプテスト派の信者であった母親の意向により、同派の宣教師ウィリアム・ケアリーに因んで、「ジョゼフ・ケアリー」と命名される。 父ジョゼフ・ロックリー・メリックは、ロンドン生まれの靴下製造業関連の職人バーナバス・メリック (Barnabas Merrick 1791-1856) の子。バーナバスは妻とともに1820年代から30年代の間にレスターに移住している。母メアリー・ジェインはレスター近郊・エヴィントンの出身。その父ウィリアムはレスター近郊のサーマストンで農作業に従事していた人物であった。メアリー・ジェインは六人きょうだいの第一子で、身体に障害を有し〔「エレファント・マン その真実の記録」57,71ページ〕ながらも、12歳で基礎教育を修了すると、レスター近郊のある邸宅でメイドとして働き、一時期は日曜学校の教師も勤めた〔『エレファント・マン その真実の記録』60ページ〕。二人が結婚したのは1861年12月のことで、当時のジョゼフ・ロックリーの職業は乗合馬車の御者であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョゼフ・メリック」の詳細全文を読む
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