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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジョン・ヘニガン(''John Randall Hennigan''、1979年10月3日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。 == 来歴 == === WWE === WWEの新人レスラー発掘番組、タフイナフIIIの優勝者である。高校時代はレスリング部主将を務め、カリフォルニア大学デービス校を経て2002年にプロレスラーデビューを果たす。同年よりOVWに所属し、ジョニー・ブレイズ(''Johnny Blaze'')、ジョニー・スペード(''Johnny Spade'')、ジョニー・スーパースター(''Johnny Superstar'')などのリングネームで活動。 2004年、WWE・RAWのGMを務めるエリック・ビショフの付き人として、ジョニー・ナイトロ(''Johnny Nitro'')を名乗りRAWに初登場。「ナイトロ」とは、かつてエリック・ビショフがWCWで携わっていた番組、マンデー・ナイトロに由来する。ビショフの付き人は短期間で終了し、OVWに降格した。 2005年4月14日、SmackDown!に登場。セレブというギミックでジョーイ・マーキュリー、メリーナと共にMNMを結成、WWEタッグ王座を奪取した。 2006年、ジャッジメント・デイにてポール・ロンドン & ブライアン・ケンドリックと王座戦を行うが敗戦。長期に渡り王座を保持してきたベルト奪われた。その際にセオドア・ロングと口論をした結果、メリーナと共にクビを言い渡されRAWへ移籍となった。これはシングルとしてプッシュするためのアングルの為の措置であった。RAW移籍後、WWE IC王座を獲得してジェフ・ハーディーとの抗争を展開。 2007年、ECWに移籍。6月24日のヴェンジェンスでは出場予定だったクリス・ベノワが欠場したため代わりにECW王座に挑戦し奪取に成功する。王者となったと同時に記者会見を開き、ドアーズのボーカリストのジム・モリソンにちなんだジョン・モリソン(''John Morrison'')へと改名した。その後CMパンクに敗れてECW王座を失ったが、ザ・ミズとのタッグで活動し、11月にはWWEタッグ王者となった。 2008年はタッグ王者として防衛を続ける傍ら、WrestleMania XXIVのマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに初参戦。敗れはしたものの、見せ場を十分に作り評価を上げた。7月20日のグレート・アメリカン・バッシュのフェイタル・4ウェイでWWEタッグ王座を明け渡すも、同年12月に行われたハウス・ショーで再びザ・ミズとのタッグで、世界タッグ王座を奪った。 2009年2月、当時WWEタッグ王者だったカリート & プリモと抗争を開始。4月5日のWrestleMania XXVのダーク・マッチのタッグ王座統一戦に敗れ王座を失う。翌日のRAWで、再戦権を行使し、王座に挑戦するも再び敗れる。同月13日に行われたドラフトにより、ミズがRAWへ移籍することとなった。その際にリングでミズと最後の握手を交わし、別れを惜しんでいたが、突如ミズに攻撃されタッグは解散となった。追加ドラフトにより、SmackDown!へ移籍。移籍後はフェイスターンし、シェルトン・ベンジャミンと抗争する。ベンジャミンとの抗争終了後はエッジ、CMパンクなどと対戦し、いずれも好勝負を見せた。このころからその高い身体能力と功績などから解説陣に第2のショーン・マイケルズと呼ばれるようになる。7月にはジェフ・ハーディーの持つ世界ヘビー級王座に挑むが王座奪取とはならなかった。9月にはレイ・ミステリオからIC王座を奪取し、以降はIC王座の第一挑戦者のドルフ・ジグラーと抗争を展開。その後はドリュー・マッキンタイアとの抗争を開始するが、12月13日のTLCで破れ王座から転落した。 2010年に入るとマッキンタイアとの抗争はうやむやになってしまい、Rトゥルースとのタッグで、WrestleMania XXVIにおいてビッグ・ショー & ザ・ミズが保持する統一タッグ王座に挑むが王座獲得とはならなかった。4月26日のRAWで行われたドラフトによりRAWへ移籍が決定する。 NXTシーズン2ではイーライ・コットンウッドを指導するプロとして登場している。 10月、サンティーノ・マレラ & ウラジミール・コズロフ組と抗争していたシェイマスの邪魔を毎回のようにしたためシェイマスとの抗争に発展。11月のサバイバー・シリーズでシェイマスとの一騎打ちに挑み勝利した。11月に2年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングでは予選でタイソン・キッド、1回戦でコーディ・ローデス、準決勝でアルベルト・デル・リオを破るが、決勝でシェイマスに破れ準優勝に終わった。 2011年の最初のRAWで前年のTLCでシェイマスとのラダー・マッチを制して手に入れたWWE王座挑戦権を行使し、元タッグパートナーのミズとエニウェア・フォール形式でのWWE王座戦を行い肉薄するも、敗れ王座獲得はならなかった。4月3日のWrestleMania XXVIIではトリッシュ・ストラタス & ニコール "スヌーキー" ポリッツィとタッグを組んでドルフ・ジグラー & ミシェル・マクール & レイラと対戦。スヌーキーがミシェルからフォールを奪って勝利した。Rトゥルースと袂を分かってからは主にUS王座戦線で活動していたが、11月に退団が発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ヘニガン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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