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ジョニー・マイズ(John Robert "Johnny" Mize, 1913年1月7日 - 1993年6月2日)は、1930 - 1950年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは一塁手。ジョージア州デモレスト生まれ。右投げ左打ち。ニックネームは"Big Jawn"(ビッグ・ジョーン)、"The Big Cat"(ビッグ・キャット)。1940年代のカージナルス、ジャイアンツで本塁打王を4度獲得した強打者。 == 経歴 == ピードモント大学在学中の1930年にカージナルスとアマチュア契約を結ぶ。1936年にメジャーデビュー。マイズは選球眼がよく、当初は打率重視のバッティングをしていたそうで、1年目から126試合に出場し打率.329、19本塁打の成績を残す。2年目の1937年には打率.363を記録しジョー・メドウィックと首位打者を争ったが2位に終わる。念願だった首位打者は4年目の1939年に獲得、この年は本塁打王と含めて二冠を獲得した。首位打者のタイトルを取ったマイズは以後長打力を重視した打撃スタイルに転向する。1940年に43本塁打、137打点を上げ2年連続の本塁打王と打点王の二冠を獲得した。 1941年シーズン終了後にカージナルスからジャイアンツにトレードされる。ジャイアンツ在籍時の1943年から1945年は第二次世界大戦のため兵役につき、1946年に現役復帰。翌1947年と48年は2年続けてリーグの最多本塁打のタイトルをラルフ・カイナーと分け合った。1949年シーズン中、出場機会が少なくなってきたことに不満を表明しヤンキースに移籍する。移籍したことでマイズの出場試合数が増えたわけではなかったが、彼はこの年からのヤンキースのワールドシリーズ5連覇に大きな貢献をしたと言われている。 1953年に現役引退。1981年にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。1993年生まれ故郷のジョージア州で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョニー・マイズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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