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ジョニー・ロッズ("The Unpredictable" Johnny Rodz)ことジョニー・ロドリゲス(Johnny Rodriguez、1938年5月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ニューヨーク州ニューヨークシティ出身のプエルトリコ系アメリカ人。 現役時代は地元ニューヨークのWWWF / WWFを主戦場にヒールの名ジョバーとして活躍。引退後はトレーナーとなって数々の選手を育てている。 == 来歴 == ブルックリンのYMCAでレスリングを学び〔『THE WRESTLER BEST 1000』P315(1996年、日本スポーツ出版社)〕、1964年のデビュー以降、長きに渡ってWWWFの前座要員として活動。1974年4月1日にはジャンボ鶴田のマディソン・スクエア・ガーデンにおける対戦相手を務め、同年5月に全日本プロレスに初来日した。1975年11月17日には、MSGに初登場したビル・ロビンソンのジョバーにも起用されている〔。 NWAロサンゼルス地区ではアラブ人ギミックのジャバ・ルーク("Arabian Wildman" Java Ruuk)に変身。1976年1月16日に行われた同地区恒例のアニュアル・バトルロイヤルでは、アンドレ・ザ・ジャイアント、パット・パターソン、アーニー・ラッド、ジョン・トロス、グレッグ・バレンタイン、ロディ・パイパー、チャボ・ゲレロ、ポークチョップ・キャッシュらを抑え優勝を果たしている。 ニューヨークに戻ると再びジョニー・ロッズ名義で活動し、1979年1月22日のMSG定期戦では藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦。並行してジャバ・ルーク名義でカナダのモントリオールにも遠征し、ジノ・ブリットらが主宰していたインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)にて、1980年2月11日にエドワード・カーペンティアからカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座を奪取した。 以降も1980年代半ば頃までWWFでジョバーを務め、ボブ・バックランド、ペドロ・モラレス、イワン・プトスキー、ティト・サンタナ、トニー・アトラス、リッキー・スティムボート、ジミー・スヌーカなどスター選手の引き立て役・売り出し役を担い続けた。プエルトリコのWWCにも参戦し、スーパー・メディコ1号ことカルロス・ホセ・エストラーダのパートナーとして、覆面レスラーのスーパー・メディコ2号(Super Médico II)に変身。1983年9月10日にペドロ・モラレス&カルロス・コロンからWWC世界タッグ王座を奪取した。なお、ロッズはエストラーダの実兄とされている〔『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P38(2002年、日本スポーツ出版社)〕。 引退後はブルックリンのグリーソンズ・ジムにて後進の指導・育成に注力(現役選手時代にも、トレーナーとしてS・D・ジョーンズらを指導していた)。1996年11月、プロレス界における功績を称えWWE殿堂に迎えられた(インダクターはアーノルド・スコーラン)。 2007年3月には、弟子であるチーム3Dのセコンド役としてTNAの "Destination X" に登場している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョニー・ロッズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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