翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョルジュ・エネスク
・ ジョルジュ・エネスコ
・ ジョルジュ・エベル
・ ジョルジュ・エルネスト・ジャン=マリー・ブーランジェ
・ ジョルジュ・オクトール
・ ジョルジュ・オスマン
・ ジョルジュ・オンスロ
・ ジョルジュ・オンスロウ
・ ジョルジュ・オンスロー
・ ジョルジュ・オーギュスト・クートン
ジョルジュ・オーリック
・ ジョルジュ・カデテ
・ ジョルジュ・カンギレム
・ ジョルジュ・キャンディリス
・ ジョルジュ・キュビエ
・ ジョルジュ・キュヴィエ
・ ジョルジュ・ギュルヴィッチ
・ ジョルジュ・ギンヌメール
・ ジョルジュ・クレマンソー
・ ジョルジュ・クロード


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョルジュ・オーリック : ミニ英和和英辞書
ジョルジュ・オーリック[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョルジュ・オーリック : ウィキペディア日本語版
ジョルジュ・オーリック[ちょうおん]

ジョルジュ・オーリックGeorges Auric, 1899年2月15日 - 1983年7月23日)は、フランス作曲家。「フランス六人組」の一人として、また映画音楽の大家として知られる。
== 略歴 ==
南仏ラングドック=ルシヨン地域圏エロー県ロデーヴ出身。15歳で最初に作品が出版されたほどの神童ぶりを発揮し、20歳になる前に、いくつかの舞台公演のために機会音楽を作曲し、管弦楽法を施した。
まだパリ音楽院に在学中の1920年に、エリック・サティジャン・コクトーを庇護者とする「フランス六人組」に参加し、アヴァンギャルドの一員と看做された。
コクトーが1930年代初頭に動画の制作に取りかかると、映画音楽の作曲を始める。フランスイギリスアメリカの映画産業に多くの楽曲を提供し、その方面で大家として成功を収めた。代表的な映画音楽に、『自由を我等に』(1931年)、『美女と野獣』(1946年)、『赤い風車(ムーラン・ルージュ)』(1952年、主題曲が非常に有名)、『ローマの休日』(1953年)、『恐怖の報酬』(''Le Salaire de la Peur'', 1955年)、『男の争い』(''Rififi'', 1956年)、『悲しみよこんにちは』(1958年)、『テレーズとイザベル』(1968年)。
オーリックは、コクトーの規定した「六人組」の理念を映画音楽に持ち込み、単純明快で屈託のない表現と、はっきりと民謡を連想させる旋律やリズム、生命力あふれるオーケストレーションが特徴的である。映画音楽と並行して芸術音楽の作曲も続けていたが、戦後のオペラ『フェードル』では、自由な無調性を用いて、表現主義的な方向を模索したと言われている。1962年に映画音楽の作曲をやめてパリ・オペラ座の音楽監督に就任し、後にフランス音楽著作権協会の議長に就任した。
モンパルナス墓地に埋葬されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョルジュ・オーリック」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.