翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョルジュ・ブラック
・ ジョルジュ・ブラッサンス
・ ジョルジュ・ブーランジェ
・ ジョルジュ・プレートル
・ ジョルジュ・プーシェ
・ ジョルジュ・ベルナノス
・ ジョルジュ・ペルティエ=ドワシー
・ ジョルジュ・ペレック
・ ジョルジュ・ポリツェル
・ ジョルジュ・ポンピドゥ
ジョルジュ・ポンピドゥー
・ ジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センター
・ ジョルジュ・マティアス
・ ジョルジュ・マトネ
・ ジョルジュ・マルシェ
・ ジョルジュ・ミーツ
・ ジョルジュ・ムスタキ
・ ジョルジュ・メリエス
・ ジョルジュ・メンデス
・ ジョルジュ・モーリス・ジャン・ブランシャール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョルジュ・ポンピドゥー : ミニ英和和英辞書
ジョルジュ・ポンピドゥー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョルジュ・ポンピドゥー : ウィキペディア日本語版
ジョルジュ・ポンピドゥー[ちょうおん]

ジョルジュ・ジャン・レイモン・ポンピドゥー(Georges Jean Raymond Pompidou 発音例 1911年7月5日 - 1974年4月2日)は、フランス政治家シャルル・ド・ゴール大統領の下で首相(在任 1962年4月16日 - 1968年7月13日)。第19代フランス大統領(フランス第五共和政)(在任 1969年6月20日 - 1974年4月2日)。日本の報道関係では慣用的にポンピドーと表記することが多い。また、ポンピドゥ(こちらの方がフランス語の発音に忠実)、ポンピドウなどの表記もある。
== 生涯 ==
両親が教育者の家に生まれたポンピドゥーは、パリの名門リセであるルイ・ル・グラン校で学んだ。1931年、パリの高等師範学校に入学を果たし、1934年には文学のアグレガシオン(1級教員資格)を取得。卒業後はまずマルセイユで、次いでルイ・ル・グラン校と並ぶパリの名門リセ・アンリ4世校で教鞭を執った。
第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加。パリ解放後はシャルル・ド・ゴール将軍首班の政府において官房の職に就き、国務院調査官などを経て、1954年から1958年までロスチャイルド銀行頭取。1958年、ド・ゴールが首相として政界復帰を果たすと官房長官を務めた後、ド・ゴール大統領の下で1962年4月16日から1968年7月13日まで首相を務めた。
ド・ゴール引退後の1969年6月15日の大統領選挙において、58.22%の得票率で当選した。ド・ゴールの後継者として登場しつつも、「連続と開放」を掲げていくつかの点で軌道修正を図った。例えば、外交面においては、イギリスのEC加盟を支持する姿勢をとり、イギリスは1973年にEC加盟を実現させた。同年に起こった石油危機への対応に追われる中、大統領在任中の1974年に白血病で死亡した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョルジュ・ポンピドゥー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.