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ジョルジ・ワグネル・ゴエス・コンセイソン(Jorge Wagner Goés Conceição, 1978年11月17日 - )は、ブラジル・バイーア州フェイラ・デ・サンタナ市出身のプロサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA・ECヴィトーリア所属。ポジションはディフェンダー(サイドバック)、ミッドフィールダー、フォワード。 == 来歴 == 1998年、バイーアでキャリアをスタート。 2001年以降、クルゼイロ、コリンチャンス、インテルナシオナル、サンパウロ、ロコモティフ・モスクワ、レアル・ベティスといった国内外の名門クラブを渡り歩き、ブラジル全国選手権、コパ・リベルタドーレスといったビッグタイトルを含め、ベティスを除く全てのクラブでタイトルを獲得している〔Wagner’s winning ways inspire Kashiwa FIFA.com 2011年11月3日〕。 2011年、Jリーグディビジョン1・柏レイソルへ移籍。第1節清水エスパルス戦で得意のフリーキックから先制点を挙げ、鮮烈なJリーグデビューを飾った〔柏3発鮮烈復帰!ワグネル芸術FKで先制弾 - スポニチ Sponichi Annex 2011年3月6日〕。開幕当初は左サイドバックとして起用されていたが、大津祐樹の移籍に伴い、7月頃から本職の中盤へポジションを移した〔柏レイソルを優勝に導いた“ネルシーニョ・マジック” 昇格チームに植え付けた勝利の文化 - スポーツナビ 2011年12月5日〕。このコンバートが功を奏し、夏場以降は本領を発揮〔。リーグ戦11得点を挙げてクラブ初のJ1優勝に大きく貢献し、Jリーグベストイレブンに選出された。2011 FIFAクラブワールドカップでは、サンパウロ時代の恩師・ラマーリョとの対戦も実現させた〔かつての師との対戦を楽しみにするJ・ワグネル - Goal.com 2011年12月12日〕。 2012年、リーグ戦33試合に出場し、7得点を記録。第92回天皇杯決勝ガンバ大阪戦では、 コーナーキックから渡部博文の決勝点をアシストし、天皇杯優勝に貢献した〔柏がG大阪に4年前のリベンジ!!天皇杯初制覇でACL出場権獲得 - ゲキサカ 2013年1月1日〕。 2013年はAFCアジアチャンピオンズリーグ参加による過密日程やレアンドロ・ドミンゲスの長期離脱に苦しんだクラブを献身的に支え続け、ヤマザキナビスコカップ決勝浦和レッズ戦では、決勝点の起点を作り勝利に貢献した〔【浦和番の視点】圧倒的に攻め込むも無得点に終わったレッズ。敗因なきナビスコ決勝 - フットボールチャンネル 2013年11月3日〕。在籍3年間でJリーグ3大タイトルを全て獲得した「優勝請負人」は、同年限りで柏を退団し、母国ブラジルのボタフォゴへ移籍した〔ボタフォゴが柏MFジョルジ・ワグネルの獲得を発表…セードルフの同僚に - ゲキサカ 2013年12月21日〕。 ボタフォゴでは前年までクラレンス・セードルフが着けていた背番号「10」を受け継いでプレーしたが、クラブが深刻な財政危機に陥ったこともあり〔名門ボタフォゴが財政危機…主力流出に監督が危機感を強める - サッカーキング 2014年8月4日〕、2014年8月5日、鹿島アントラーズへ完全移籍した〔ジョルジ ワグネル選手が加入 鹿島アントラーズ公式サイト (2014年8月5日)〕 。同年はリーグ戦8試合に出場したが、2015年1月12日に契約を解除したことが発表され〔ジョルジ ワグネル選手 契約解除のお知らせ 鹿島アントラーズ公式サイト (2015年1月12日)〕、地元バイーア州のクラブ・ECヴィトーリアに移籍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョルジ・ワグネル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jorge Wagner 」があります。 スポンサード リンク
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