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ジョンストン・ペティグルー : ミニ英和和英辞書
ジョンストン・ペティグルー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョンストン・ペティグルー : ウィキペディア日本語版
ジョンストン・ペティグルー[ちょうおん]

ジェイムズ・ジョンストン・ペティグルー(英:James Johnston Pettigrew、1828年7月4日-1863年7月17日)は、アメリカ合衆国著作家弁護士、言語学者、外交官であり、南北戦争の時は南軍将軍だった。ゲティスバーグの戦いの3日目、悲惨な結果になったピケットの突撃ではその主要な指揮官であり、その数日後、南軍がバージニア州に撤退する途中で戦死した。
== 初期の経歴 ==
ペティグルーはノースカロライナ州ティレル郡で、エベネザーとアン・シェパードのペティグルー夫妻の息子として生まれた。父はフランスユグノー出身の裕福な家庭の出だった〔Tagg, p. 343.〕。母と北軍の将軍ジョン・ギボンの母は従姉妹同士であり、ギボンとペティグルーは双従兄弟だった。ペティグルーは15歳の時にノースカロライナ大学チャペルヒル校に入学した。数学や古典語が得意科目であり、また博愛協会の会員になった。フェンシングやボクシングでは同級の中で指導的存在でもあった。ジェームズ・ポーク大統領からその学業成績を誉められ、アメリカ海軍天文台助教授に指名された。その後ボルティモアで法律を学んでサウスカロライナ州チャールストンで叔父の会社に入り、ドイツに旅行して民法を研究した。ペティグルーは7年間ヨーロッパを回り、その間にフランス語、ドイツ語、イタリア語およびスペイン語の読み書きができるようになり、ギリシャ語、ヘブライ語およびアラビア語は読めるようになった。旅行記『スペインとスペイン人に関する覚書』を書き、外交の仕事で時を過ごした。
アメリカに戻ると1856年にサウスカロライナ州議会議員に選出された。語学に堪能で民法の知識があったにも拘らず、国と出身州に奉仕する方法として軍隊の方に傾いていった。1860年12月、サウスカロライナ州知事の補佐官を務め、翌年4月にはチャールストン港にあるサムター砦の北軍指揮官と、知事およびサウスカロライナ民兵隊当局との間の交渉に参加した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョンストン・ペティグルー」の詳細全文を読む




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