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ジョンズタウン(、1936年 - 1950年)とは、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。1939年のアメリカクラシック二冠馬。1992年にアメリカ競馬殿堂入りを果たした。 == 経歴 == 1936年に、アーサー・ボイド・ハンコックの所有するクレイボーンファームで生産されたサラブレッドの競走馬である。のちにウィリアム・ウッドワードに購入され、彼の持つブライアースタッド名義で競走馬として登録された。 ウィリアムの学友でもあったジム・フィッツシモンズ調教師に預けられ、1938年の4月にジャマイカ競馬場でデビュー戦を走った(4着)。2戦目で初勝利を挙げ、この年ブリーダーズフューチュリティ優勝を含む12戦7勝の戦績を残した。しかし、フューチュリティステークスやホープフルステークスなど重要な競走では、のちの同年最優秀2歳牡馬であるエルチコに敗れている。 3歳シーズンは4月から始動し、ポーモノクハンデキャップと一般戦を勝って前年末から続く連勝を5に伸ばした。ケンタッキーダービーの前哨戦・ウッドメモリアルステークスでは2着馬を8馬身突き放す圧勝を見せ、フィッツシモンズは同競走4連覇を達成した。 ケンタッキーダービーでは単勝オッズ1.6倍という支持を集めて、断然の1番人気に推された。スタートこそよくなかったものの、前へと駆け出してエルチコを2番手に抑え、先頭を独走。ずるずる後退するエルチコを尻目に、1マイル(約1609メートル)を過ぎたあたりで鞍上のジェームズ・スタウトの合図を受け、その差をどんどんと広げていった。最終的には2着のシャルドンに8馬身の差をつけてゴール、圧勝劇でその人気に応えた。 翌戦の三冠第2戦・プリークネスステークスは重馬場での開催となり、ジョンズタウンは5着に敗れ、連勝も7でストップした。しかし良馬場となったウィザーズステークスでは6馬身差で快勝し、三冠最終戦のベルモントステークスもシャルドンがいなかったことも幸いして楽勝、二冠を達成した。 その後ドワイヤーステークスではシャルドンをふたたび破るものの、その次に出走したアーリントンクラシックステークスでは逆にシャルドンの3着に敗れた。この競走で故障を発生し、復帰を目指したもののそのまま引退している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョンズタウン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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