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ジョン・クライヤー : ミニ英和和英辞書
ジョン・クライヤー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・クライヤー : ウィキペディア日本語版
ジョン・クライヤー[ちょうおん]

ジョン・クライヤー(Jonathan Niven "Jon" Cryer, 1965年4月16日-)はアメリカ合衆国の俳優・脚本家・映画プロデューサー。
1984年に映画『恋人ゲーム』に出演してデビューを果たし、ジョン・ヒューズ脚本の映画『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角 』のダッキー役で有名になる。1998年には自身で脚本を書き上げ、''Went to Coney Island on a Mission From God... Be Back by Five''を制作した。
映画では有名な作品に出演したこともあるが、テレビでは成功していたとは言い難く、''The Famous Teddy Z''、''Partners''、''The Trouble with Normal''など出演していた番組で長く続いたものはなかった。しかし、2003年から放映されているCBSの『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』で、主演のチャーリー・シーンと対照的な役柄のアラン・ハーパー役にキャスティングされ、プライムタイム・エミー賞助演男優賞(コメディ部門)に3度ノミネートされた。
クライヤーはよく俳優のマシュー・ブロデリックと間違えられることでも知られている(後述)〔。
==略歴==
母は俳優・歌手のグレッチェン・クライヤー(旧姓:カイガー) (en:Gretchen Cryer)、父は俳優・歌手・プロデューサーのディヴッド・クライヤーで、ロビンとシェリーの二人の姉妹がいる〔。
クライヤーは12歳のときに俳優を志した。これを聞いた母親は、息子には俳優以外の選択肢も必要ではないかと考え、「配管工も悪くない職業よ」と冗談を言った。10代のころにクライヤーは、俳優養成のためのサマーキャンプであるステージドア・マナー(en:Stagedoor Manor)に夏休みの間何度か参加している。1983年にニューヨーク市立ブロンクス科学高校 (en:Bronx High School of Science)を卒業した。
1984年、当時19歳だったクライヤーは、ロマンティック・コメディ映画『恋人ゲーム』の主演チャールズ・カミングス役でデビューを飾った。その後テレビ映画で何本か脇役を務め、ジョン・ヒューズの映画『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』のフィル・"ダッキー"・デール役で脚光を浴びる。当時は世界中のティーンエイジャーの少女が電話をかけてきて、金切り声や笑い声を留守番電話に残していった、とクライヤーの母はデイリーニューズのインタビューで語っている〔。この作品のヒットで有名になり、1987年に『スーパーマンIV 最強の敵』で悪役レニー・ルーサーを演じた〔。1991年、 ジム・エイブラハムズのコメディ映画『ホット・ショット』でチャーリー・シーンと共演し〔、このときの評価は良かった。クライヤーはブラット・パック俳優の一人とされることが多い。2009年に行われた :en:Anytime with Bob Kushellでのインタビューによると、クライヤーはブラット・パック映画とされる『セント・エルモス・ファイアー』のオーディションを受けたことがあるが、落選した。
映画に比べクライヤーのテレビ出演は不調で、1989年にはコメディドラマ ''The Famous Teddy Z'' で主役を務めたが評判は悪く、このドラマは第1シーズンのみで終了し、続編の製作はキャンセルされた〔。1993年、ロンドンで舞台に上がっている時、『フレンズ』のチャンドラー・ビング役のオーディションに参加しないかという誘いがあり、彼の演技はイギリスのキャスティングエージェントによって収録されたが、最終決定前にビデオテープがアメリカに到着しなかったため、採用は見送られた。1995年、シットコム''Partners''でボブ役を務めた。この番組は第1シーズン放送後に打ち切られた。'':en:Time Out New York''でのインタビューにおいて彼は 「ねえ、なんだか僕の出る番組はみんなだめになってしまうみたいだね。ジョージ・クルーニーは28のパイロットとかに出たことを考えたよ。意味はないけど。」と話した〔。『ダーマ&グレッグ』や『The Outer Limits』にゲスト出演を果たしたあとの1998年、自主製作映画''Went to Coney Island on a Mission from God...Be Back by Five''が批評家たちの間での評判が良く、PLAYBOYLeonard Maltinは「新鮮な息吹が入り込んできた("A Breath of Fresh Air")」と評した。2000年、''Trouble With Normal''でメインキャラクターを演じたが、第1シーズンで打ち切りとなった。
2003年、クライヤーは『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』でアラン・ハーパー役を演じた。過去の出演作がみな失敗したことを知るCBSの重役たちは、クライヤーの起用に反対していたが、この番組でクライヤーはプライムタイム・エミー賞で3度ノミネートを受けることになった〔〔〔。番組の高視聴率を見て彼は「毎週生き残るために戦っている番組に出ているときは、自分の素質はそんなに働いていないと感じ、自分の素質が信じられなくなる。でも、人々がとても気に入っていて、視聴率も高い番組なら、そんなプレッシャーを感じなくなる。」と言った〔。
『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』の前に SCI FIの『GALACTICA/ギャラクティカ』でガイアス・バルター役を演じることになっていたが、降板しジェイムズ・キャリスが担当することになった 〔 Vary, Adam B. "Battlestar Galactica: The Beginning of the End." Entertainment Weekly 20 Mar. 2009: 42. 〕。
2008年、クライヤーはローレンス・フィッシュバーンジェームズ・クロムウェルと共に『ディープ・アンダーカバー』に出演し、 2009年にはジェームズ・スペイダーと共に『ショーツ 魔法の石大作戦』に出演するとされている。
2010年8月、テレビガイド誌によると『チャーリー・シーンのハーパー★ボーイズ』の1エピソードあたりの推定出演料が55万ドル(日本円で約4,675万円)であることがわかった。
2011年10月、経済誌フォーブス誌が「テレビ界で最も稼いでいる俳優」のランキングを発表し、2010年5月から2011年5月までで1,100万ドル(日本円で約8億3,600万円)を稼いで5位にランクインした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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