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ジョン・クラークソン : ミニ英和和英辞書
ジョン・クラークソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・クラークソン : ウィキペディア日本語版
ジョン・クラークソン[ちょうおん]

ジョン・クラークソンJohn Gibson Clarkson, 1861年7月1日 - 1909年2月4日)は、19世紀のアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。右投げ右打ち。数種類のカーブを武器に、実働12年で328勝を挙げた。
==略歴==
1882年に、当時ナショナルリーグに加盟していたウースター・ルビーレッグスと契約、3試合に登板した(1勝2敗)が、ルビーレッグスはこの年18勝66敗と惨敗しリーグを離脱。彼は放出され翌年を北西部リーグのセギノー球団ですごす。
1884年8月に当時キャップ・アンソンが率いていたシカゴ・ホワイトストッキングスに入団。アンソンは彼の才能を見抜き、翌年からチームの主力投手に抜擢した。期待に応えたクラークソンは、この年70試合に登板、53勝16敗というメジャーリーグ史上2番目のシーズン勝利数を上げる。以後1886年には36勝17敗、1887年は38勝21敗で2度目の最多勝利投手となり、その才能を開花させた。
1888年、当時としては破格の1万ドルの移籍金でボストン・ビーンイーターズに移籍する。移籍した翌年の1889年には72試合に先発し49勝、奪三振284、防御率2.73をマークし投手部門の三冠を獲得した。同年6月4日の試合では、メジャーリーグ史上初めてとなる「三者連続の三球三振」の記録を達成した。〔1889年当時は、投手-本塁間の距離が今より短かった。〕
1891年にはキャリア6度目の30勝以上をあげる。シーズン30勝以上を6度以上記録しているのは、メジャーリーグ史上彼とキッド・ニコルズ(7度)の二人だけである。翌1892年のシーズン途中に彼はボストンを放出され、クリーブランドに移籍。同年、通算300勝に到達したが、翌1893年に投手-本塁間の距離が60フィート6インチ (18.4m) に伸ばされると、それまでの投げすぎもあってなかなか勝ち星を挙げられなくなる。
1894年のシーズン中にボルチモアにトレードされるが、移籍先では登板することなく、そのまま引退した。1909年マサチューセッツ州で他界。1963年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・クラークソン」の詳細全文を読む




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