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ジョン・ジョセフ・アンダーソン(John Joseph Anderson、1873年12月14日 - 1949年7月23日)は、主に1890~1900年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは外野手、一塁手。ノルウェー・サルプスボルグ生まれ。右投げ、スイッチヒッター。ニックネームは"Honest John"。 メジャーリーグでは最初のノルウェー出身者で、1906年にアメリカンリーグ最多盗塁のタイトルを手にした。 == 来歴・人物 == 1894年、ニューイングランドのヘイバービルという球団の選手だったアンダーソンは、8月に400ドルの金銭で当時のブルックリン・グルームス(現ロサンゼルス・ドジャーズ)に入団する。すぐに外野のレギュラーとなり、毎年3割、30盗塁前後の成績を挙げられる選手だった。1898年、オーナーの意向で当時の強豪球団だったボルチモア・オリオールズから多くの選手がブルックリンに移って来る中、アンダーソンは5月に『条件つき移籍』でワシントン・セネタース(当時)に4ヶ月だけ所属し、再びブルックリンに復帰したという経歴を持っている。所属チームが代わる中で、アンダーソンはこの年リーグ最多の22本の三塁打を放ち、また長打率でリーグ1位という活躍をしている。 1901年にアメリカンリーグが発足するとミルウォーキー・ブルワーズ(現ボルチモア・オリオールズ)に移籍する。年齢とともに長打の数は減っていたが、1901年に記録した35盗塁はリーグ7位の成績だった。その後ニューヨーク・ハイランダース、ワシントン・セネタース(現ツインズ)と渡り歩き、1906年にセネタースで自身最多となる39盗塁を記録、この数はエルマー・フリックと並びリーグ最多であった。 チームを乗せる元気なプレーヤーだったが、それが過ぎたことがある。満塁の場面で盗塁してしまったのだ。それも1904年、1905年と2年連続である。1905年のほうは、1点差で迎えた9回2アウトという場面だった。1塁ランナーだったアンダーソンは突然走り出し、タッチアウトでゲームセットになってしまったのである。 1908年のシカゴ・ホワイトソックス在籍を最後にメジャーから退き、1949年にマサチューセッツ州で亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・アンダーソン (外野手)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 John Anderson (outfielder) 」があります。 スポンサード リンク
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