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ジョン・エルテール・デュポン(John Eleuthère du Pont, 1938年11月22日 - 2010年12月9日)は、かつてデュポン財閥の資産相続人の一人であり、殺人で有罪判決を受けた人物である〔〔。いくつかの本を書いた鳥類学者でもあり、貝類学者、切手蒐集家、スポーツ支援者やコーチとしての顔も持っていた。慈善事業としてデラウェア自然博物館を設立し、いくつもの施設に寄付を行ってもいる。 1980年代に五種競技に興味を抱いたことから、所有するフォックスキャッチャー農場にレスリング施設を建設する。彼はアマチュアスポーツの支援者、アメリカレスリングチームの支援者として有名であった。1990年代には彼の突飛な行動や強迫性障害的行動は友人らに心配されるほどになっていたが、彼は莫大な資産を持っていたためにそのことが表に出ることはなかった〔。1997年に彼は友人でありレスリングのフリースタイル金メダリストであるデイヴ・シュルツを殺害する。 2014年には映画『フォックスキャッチャー』において、スティーヴ・カレルがデュポンを演じてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。 ==幼少期== ジョン・デュポンは、1938年11月22日にペンシルベニア州フィラデルフィアにて生まれた。ウィリアム・デュポン・ジュニアとジーン・リスター・オースティンとの間に生まれた末子であった。母方の祖父が夫妻にペンシルベニア州ニュートンにある200エーカー以上の広さを持つ土地を与え、父方の祖父がリスターホールという名の大邸宅を建て、ジョンはそこで育った〔"Last hurrah for historic Liseter Hall Farm" , ''Mid-Atlantic Thoroughbred,'' September 2005〕。母方の家系も父方の家系も、19世紀初頭にアメリカに移住してきて成功した一族であった。 1920年代から1930年代にかけて夫妻はさらなる土地を相続し、リスターホール農場を発展させて販売用・競争用サラブレッドを飼育した。ジョンが2歳のときに両親は離婚し、母が農場を相続した。彼女はサラブレッドに加え、ジャージー乳牛とウェルシュポニーも飼育した。ジョンには二人の姉と、兄、腹違いの弟がいた。 デュポンは1957年にハヴァーフォードスクールを卒業し、ペンシルベニア大学に入学したが一年次で中退した。のちにフロリダ州のマイアミ大学に入学し、1965年に動物学の学位をとって卒業、1973年にヴィラノヴァ大学にて自然科学博士号をとった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・デュポン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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