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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジョン・ノード(John Nord、1959年10月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミネソタ州セントクラウド出身。 WWFではザ・バーザーカー(The Berzerker)、日本ではビッグ・ジョン・ノード(Big John Nord)などのリングネームで知られた。 == 来歴 == ジェシー・ベンチュラやロード・ウォリアーズらのトレーナーとして知られるエディ・シャーキーのコーチを受け、1984年に地元ミネソタのAWAでデビュー。1985年よりビル・ワットが主宰するMSWAに移り、ザ・バーバリアン(''The Barbarian'')のリングネームで活動。大型の若手ヒールとして、テッド・デビアスやジム・ドゥガンらと対戦する。同年11月、当時MSWAとの提携ルートを持っていた新日本プロレスに初来日。ハクソー・ヒギンズと組んでIWGPタッグ・リーグ戦に参加した。 1986年よりノード・ザ・バーバリアン(''Nord the Barbarian'')として古巣のAWAに参戦。髪と髭を伸ばし、コスチュームは毛皮のベストとブーツという、ブルーザー・ブロディそっくりの野獣スタイルに変身する。同年4月20日にミネアポリスのメトロドームで行われた "Wrestle Rock 86" では、そのブロディとのタッグでジミー・スヌーカ&グレッグ・ガニアと対戦した。後のリップ・モーガンやロン・パワーズ、ザ・プレデターや矢野啓太などもブロディを模したキャラクターとして知られるが、その先駆者ともいえるノードは、風貌や体格などのビジュアル面においてはブロディのクローンのような存在だった。 AWAではシーク・アドナン・アル=ケイシーをマネージャーにボリス・ズーコフやモンゴリアン・ストンパーと共闘し、ロード・ウォリアーズ、サージェント・スローター、ジェリー・ブラックウェル、スコット・ホール、カート・ヘニングらと抗争。その後、テキサス州ダラスのWCCW参戦を経て1989年にAWAに復帰した際は、ネルシャツにジーンズ姿のランバージャックをイメージしたユーコン・ジョン・ノード(''"Yukon" John Nord'')に改名。1990年3月には、このスタイルで新日本に再来日している(リングネームはノード・ザ・バーバリアンのままだった)。 1991年下期にWWFと契約。今度はヴァイキング・ギミックに変身し、北欧神話に登場する狂戦士ベルセルクの英語読みであるザ・バーザーカー(''The Berzerker'')を名乗る。ミスター・フジをマネージャーに迎え、角の付いた兜を被り、白い毛皮のブーツを履いて剣と楯を手に入場。ギミックこそ変更したものの、髪と髭はさらに伸びてますますブロディに近い風貌となり、試合中および入場時には ''"Huss! Huss!"'' というブロディを真似たシャウトを連呼した。 WWFではジ・アンダーテイカーやブリティッシュ・ブルドッグとのミニ抗争が組まれ、アンダーテイカー戦では剣をリングに突き刺すなどの蛮行を見せたが〔、不器用な試合ぶりが災いしてか〔『THE WRESTLER BEST 1000』P242(1996年、日本スポーツ出版社)〕、本格的な抗争アングルには発展しなかった。ブルドッグとは1992年4月5日のレッスルマニア8で対戦が組まれるも、時間抑制のため当日になって中止にさせられている。1992年はSWSおよびWARにも来日したが、同年下期からはミスター・フジもヨコズナのマネージャーに専念するようになり、活躍の機会を与えられないまま1993年2月にWWFを退団した。 1994年1月、全日本プロレスにビッグ・ジョン・ノード(''Big John Nord'')の名前で来日。4月開幕のチャンピオン・カーニバルにも出場し、スタン・ハンセンやスティーブ・ウィリアムスとも対戦した。1997年からは髪を短めのブロンド・ヘアーにして本名のジョン・ノード名義でWCWに登場。しかし、ミッドカード戦線にすら絡むことのないジョバーの扱いで、翌1998年に解雇された。 その後は兄弟の経営する自動車販売会社 "Nord East Motors" に勤務しつつ、2005年頃までミネソタ州のインディー団体にスポット参戦していた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ノード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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