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ジョン・ハイズマン(''Jon Hiseman''、1944年6月21日 - )は、イングランド・ロンドン出身のミュージシャン、ジャズ・ロックドラマー、音楽プロデューサー。 プログレッシブ・ロックバンド「コロシアム」のリーダーで知られる。 == 人物 == 幼少の頃から楽器を習い、ハイスクール時代にデイヴ・グリーンスレイドやトニー・リーヴス等と共にアマチュア・バンドを組むなど、ドラマーとして活動する。 ;ジャズ・ロック活動 1964年頃から、リーヴス等と共にジャズ・ミュージシャンとしてプロ活動を始め、複数のジャズ・バンドに参加する。1966年、 後のクリーム・メンバーが在籍していた、グレアム・ボンド・オーガニゼーションに加入。ここで、ディック・ヘクストール=スミスと同僚になる。1967年頃には、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン、マイク・テイラー、デイヴィ・グレアム、ジャック・ブルース等のシングルやアルバムに、録音やセッションで参加。1968年から、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズで活動した。 ;コロシアム結成 1968年夏、上述の知己であるリーヴス、グリーンスレイド、ヘクストール=スミスらと、プログレッシブ・ロックバンド「コロシアム」を結成。その後、「テンペスト」や「コロシアムII」などで活動し、ハード・ロック / フュージョンの領域に進出〔ジョン・ハイズマン、コロシアムIIと今後の活動を語る - YAMAHA〕。1970年代後半からは、ジャズ・フュージョンバンド「ユナイテッド・ジャズ+ロック・アンサンブル」に加入し、長年に渡って活動する。 ;プロデュース・ソロ活動など - 現在 1970年代から音楽プロデューサーも担当するようになり、同年代末から妻バーバラのプロジェクトや自身のソロなどを手がけた。各活動と並行して、1994年にコロシアムを再結成。2007年に同メンバーとして来日し、2015年を最後にコロシアムの活動を終了した〔ジョン・ハイズマン、コロシアム最後のアルバム『タイム・オン・アワ・サイド』を語る - YAMAHA〕。 ;スタイル ジャズ・ドラマーとしてのテクニックとロックのパワフルさを合わせ持ち、その速度、タイム感覚の正確さと、巧みな4Way Controlが生み出すドラム・サウンドを持ち味とする。 ;家族 妻は、サックス奏者で後期コロシアム・メンバーでもある、バーバラ・トンプソン(''Barbara Thompson'')、娘はシンガーソングライターのアナ・グレーシー(''Ana Gracey Hiseman'')。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ハイズマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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