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ジョン・ウィンストン・ハワード(John Winston Howard、AC、1939年7月26日 - )は、オーストラリアの政治家(引退表明済み)。第25代オーストラリア首相(1996年3月11日 - 2007年12月3日)。ロバート・メンジーズに続いて二番目に長い任期を務める首相であった。 1995年1月にオーストラリア自由党の党首に就任し、2007年11月まで務めた。2004年10月9日に行われた総選挙は彼に四度目の任期を与え、最近のオーストラリアにおける最も成功した政治家となった。趣味は クリケットで、健康のために散歩を日課としている。尊敬する政治家は英国のマーガレット・サッチャー元首相である。 == 生い立ち == シドニー郊外のアールウッドで生まれ育ち、アールウッド公立学校へ通った。彼はイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルにちなんでウィンストン, Winstonのミドルネームを付けられた。父ライエル・ハワードと父方の祖父Walter Howardは両人とも第一次世界大戦でFirst AIF, First Australian Imperial Force(オーストラリア帝国軍)の退役軍人だった。 ジョン・ハワードは青年期聴覚障害によるわずかな言語障害を持ち、この点でウィンストン・チャーチルと同じである。 一家はガソリンスタンドと機械工場をアールウッドの郊外, Dulwich Hillで経営した。父ライエルはジョンがティーンエイジャーの時に死去し、妻と三人の息子が残された。ジョンはカンタベリー・ボーイズ・ハイスクールに通い、シドニー大学に進学し法律学を学んだ。 1957年に自由党に参加する。 ジョンは1971年に自由党の同僚ジャネット・パーカーと結婚し、三人の子供をもうけた。ジャネットはハワードが首相在職中控えめであったが、それは彼の健康問題から取られたスタンスで、実際には彼女はハワードの有力なアドバイザーと評価される。 1974年の連邦議会総選挙で、シドニー北西郊外のベネロング区から立候補し当選する。1985年に自由党の党首となるが、1989年に退任、後1995年に再び自由党の党首に就任する。1996年の連邦議会総選挙で、与党の労働党を破り、自由党が政権の座に着き首相に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ハワード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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