|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジョン・バーリーコーン (John Barleycorn) はイングランド民謡。この唄の登場人物「ジョン・バーリーコーン」は、重要な穀物である大麦と、それから作られるアルコール飲料であるビール及びウィスキーとを擬人化したもの。この唄では、ジョン・バーリーコーンは攻撃、死、侮辱を被るものとして表されており、これは刈入れや麦芽製造などの大麦栽培の様々な段階に対応する。 この唄は少なくとも表面上は酒の力を賞賛する唄であり、歌詞の一部は伝統的に乾杯の言葉として口ずさまれる〔John Renbourn Group. ''John Barleycorn'' (1996). Demon Records. EDCD 472 ジョン・レンボーンによるライナーノートより〕が、ジョン・バーリーコーンの物語は異教信仰を表していると解釈する向きもある。ジョン・バーリーコーン、より正確にはその初期の形は、サクソン・イングランドの初期の教会によって、異教徒が元のアングロ=サクソンの多神教からキリスト教に改宗するのを促すために利用されたのではないかとも言われている。ジョン・バーリーコーンは自然のサイクル、精霊、収穫という異教的宗教の観念形態を表している(かつまた人身供犠を表しているかもしれない)が、この唄はジョン・バーリーコーンがキリストのような人物だと示すためにキリスト教化 (en) されているというのが、この発想の論拠となっている。 大麦の擬人化であるバーリーコーンは、大いなる受苦に遭遇した後、不愉快な死に屈する。しかしこの死の結果、パンを作ることができる。つまりバーリーコーンは他の人々が生きるために死ぬことになる。終には彼の身体はパンとして食されるだろう。これをキリスト教の秘蹟と化体の概念になぞらえてみれば、いかにこの唄がキリスト教を利するものであったか想像に難くない。有名な賛歌 ''We Plough the Fields and Scatter'' は、収穫祭の時に同じ節 (ふし) でよく歌われる。 イギリスのギタリスト、ジョン・レンボーンは、登場する三人の男のモチーフは、この唄が16世紀ロンドンの宿屋や酒場で盛んに歌われた古い自由民の唄のひとつであったことを示しているかもしれないと書いている〔''Ibid.''〕。 ==様々なバージョン== この唄には数え切れないほどのバージョンが存在する。1568年のバナタイン写本 (Bannatyne Manuscript) にもこの唄のひとつのバージョンが収められ、17世紀以降のイングランドのブロードサイド (片面刷りの紙に印刷された俗謡:en) のバージョンはありふれている。スコットランドの詩人ロバート・バーンズ が1782年に彼自身のバージョンを出版したり、近代のバージョンも数多い。バーンズのバージョンは物語をやや神秘めかしており、原形からは離れているものの、以後のバラッドのほとんどのバージョンの手本となった。 バーンズのバージョンは次のように始まる
或る古いイングランドのバージョンは次のように進行する
より古いバージョンがバーンズのバージョンと似ているのは、大麦を擬人化していること、そして時には様々な職人によって大麦が虐待されたり殺されたりするという点のみである。バーンズのバージョンはしかしながらそれらのモチーフを省略している。バーンズのバージョンで神秘的な王とされたのは、17世紀初頭のバージョンでは実のところ、酒によって倒され、その雪辱を果たそうとジョン・バーリーコーンに復讐を挑む普通の男たちだった。
別の古いバージョンにはジョン・バーリーコーンが粉屋に復讐する場面がある
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・バーリーコーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|