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ジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Sousa、1854年11月6日 - 1932年3月6日)はアメリカの作曲家、指揮者。 『ワシントン・ポスト』、『星条旗よ永遠なれ』など100曲を越えるマーチのほかオペレッタや組曲などを作曲した. 19世紀のバンド音楽発展に貢献したこと等により多くの人々からマーチ王と呼ばれる。 さらにマーチングバンドなどでよく用いられるマーチング用チューバのスーザフォーンを考案した。 ==生涯== ワシントンD.C.に生まれる。父はポルトガル出身で、大統領直属ワシントン海兵隊楽団のトロンボーン奏者だった。母はドイツ系である。周囲に音楽があふれている環境の中で、スーザは自然に音楽と親しむようになる。7歳のとき音楽の勉強を始め、楽器演奏のほかに声楽にも熱中した。熱中するあまり、勝手に楽団にもぐりこんで演奏に加わったりした。加わった先の一つが少々ならず者の集団だったこともあり、父の紹介で13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団した。5年間在籍したが、やがてワシントン海兵隊楽団を退団して各地のオーケストラやバンドを転々とするようになる。その最中にはアーサー・サリヴァンなどと親しくなったりもした。1880年に古巣のワシントン海兵隊楽団から指揮者に指名され楽団に復帰する。「ワシントン・ポスト」や「雷神」はこの時期の作品である。 1892年、デヴィッド・ブレイクリーという興行師の誘いで楽団を辞任し、「スーザ吹奏楽団」を結成。9月26日にニュージャージー州プレインフィールドで第1回の公演を行い、そのまま全米各地への演奏旅行に出発した。ブレイクリーの根回しが少々雑だったのか、公演は必ずしもすべて成功とは行かなかったと言われる。1896年、ブレイクリーが急死し、その報を聞いて帰る船の中で浮かんだメロディーを元に作曲されたのが「星条旗よ永遠なれ」である。 「スーザ吹奏楽団」は全米各地のみならず、ハワイや南半球のオーストラリア、南アフリカなどへの演奏旅行に出かけたが、1914年、第一次世界大戦の勃発に伴い、吹奏楽団を解散。スーザ自身も海軍大尉に任官する。終戦後、少佐で退役後吹奏楽団を再結成し、レコーディングや演奏旅行、そして1922年から始まったラジオへの出演など、大戦前以上に精力的に活動した。1932年3月6日、ペンシルベニア州レディングでコンサートを開いた後、帰ってきたホテルで急死。吹奏楽団も解散となった。 スーザは音楽以外にも多彩な才能を見せており、3篇の小説と自伝を著している。クレー射撃においても高い技術を有していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・フィリップ・スーザ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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