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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジョン・ニコラス・ブラッシュフォード=スネル(John Nicholas Blashford-Snell, OBE〔「OBE」は、大英帝国勲章オフィサーの受章者である事を示す。〕、1936年10月22日 - )は、イギリス陸軍の士官、探検家、著作家。軍人としての最終階級は大佐。 == 経歴 == 子どもの頃、『''Boy's Own Paper''』の冒険談や、スコット大佐やアーネスト・シャクルトンら有名な探検家の話の抜粋などを、祖母から読み聞かされて育った。 ブラッシュフォード=スネルは、ジャージーのヴィクトリア・カレッジ (Victoria College) に学んで、サンドハースト王立陸軍士官学校に進み、卒業後は王立工兵 (Royal Engineers) に配属された。 数多くの遠征の中には、ホワイト・ウォーター・ラフティングを「偶然に」生み出した青ナイル川下り(1968年)、ダリエン・ギャップ (Darién Gap) の横断(1971年 - 1972年)、アラスカ州からホーン岬に至る自動車による最初の南北アメリカ大陸縦断、コンゴ川の完全航行(1974年 - 1975年)などがある〔。 1969年には科学的探検協会 (the Scientific Exploration Society) を創設した。 1978年、ブラッシュフォード=スネルは、オペレーション・ドレイク (Operation Drake) を創始し、これは後に青少年の教育プログラムであるオペレーション・レイリー (Operation Raleigh) へと発展し、ブラッシュフォード=スネルは1991年に引退するまで、その総監督を務めた。 ブラッシュフォード=スネルは、1974年にセグレイヴ・トロフィ (Segrave Trophy) を受賞し、1993年には王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を受賞した。 2006年、ブラッシュフォード=スネルは、ロンドンの帽子製造業者ジェームズ・ロック (James Lock) と共同で、探検家の必要に合った特別な帽子をデザインした。2001年には、未確認動物学を扱うフォーティアン動物学センター (Centre for Fortean Zoology) の終身名誉会長となった。ブラッシュフォード=スネルは、幽霊クラブ (the Ghost Club) の会員でもある。2010年、ブラッシュフォード=スネルは、リヴァプール・ジョン・ムーアズ大学 (Liverpool John Moores University) の名誉フェローとなった。 著書のなかには、自伝『''Something Lost Behind the Ranges''』(1994年)も含まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ブラッシュフォード=スネル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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