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ジョン・リチャード・ヒックス : ミニ英和和英辞書
ジョン・リチャード・ヒックス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・リチャード・ヒックス ( リダイレクト:ジョン・ヒックス ) : ウィキペディア日本語版
ジョン・ヒックス[ちょうおん]


ジョン・リチャード・ヒックス(John Richard Hicks、1904年4月8日 - 1989年5月20日)は、英国経済学者
現在のミクロ経済学マクロ経済学の全域に貢献した。ロビンズサークルおよびケインズサーカスの関係者である。爵位を賜ったことと学問的業績に敬意を表して「ヒックス卿」、ヒックス以降は経済学の中心が英国からアメリカに移ったことから「英国最後の大経済学者」などとも呼ばれる。1972年ケネス・アローとともにアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞した。
==経歴==

*1904年 イングランドウォリックシャー州レミントン・スパに生まれる。
*1917年 - 1922年 ブリストルのクリフトン・カレッジで学ぶ。
*1922年 - 1926年 オックスフォード大学ベイリオル・カレッジで学ぶ。
*1923年  専攻を主な「数学」から「哲学・政治学および経済学」に変える。
*1926年 - 1935年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) に在職する。     
*1930年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) の講師に就任。
*1935年 シドニー・ウェッブの娘、財政学者アーシュラ・K・ウェッブ(Ursula Webb)と結婚。
*1935年 - 1938年 ケンブリッジ大学のゴンヴィル・エンド・ケーアス・カレッジのフェローに移る(その間『価値と資本』を執筆。出版1939年)。
*1938年 - 1946年 マンチェスター大学の教授として教鞭を揮った。
*1946年 - 1965年 オックスフォード大学のナフィールド・カレッジに移り、リサーチ・フェローとして研究を行う。
*1952年 - 1965年 ドルモンド政治経済学教授(Drummond Professor of Political Economy)としても教鞭を揮った。
*1964年 Sirの称号を受けて、サー・ジョン・ヒックスと呼ばれるようになった。
*1965年 - 1971年  オール・ソウルズ・カレッジのリサーチ・フェローとして活動した。また、オックスフォード大学Linacre Collegeの名誉リサーチでもあった。
*1989年 85歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・ヒックス」の詳細全文を読む




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