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ジョン・リー・リッチモンド : ミニ英和和英辞書
ジョン・リー・リッチモンド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・リー・リッチモンド ( リダイレクト:リー・リッチモンド ) : ウィキペディア日本語版
リー・リッチモンド[ちょうおん]

リー・リッチモンドJohn Lee Richmond, 1857年5月5日 - 1929年10月1日)は、1880年代に活躍したメジャーリーグベースボールの野球選手。主なポジションは投手アメリカ合衆国オハイオ州シェフィールド生まれ。左投げ、打席左右は不明。MLB史上初の完全試合を達成したことで知られている。
==来歴・人物==
ブラウン大学に在学していた1879年、リッチモンドは在学のままウースターのマイナーリーグ球団にも所属していた。左投げからのカーブを得意としていたリッチモンドは、この年キャップ・アンソンが率いるシカゴ・ホワイトストッキングス(現・カブス)とのエキシビションゲームで、7回雨天で中止になるまで無安打に抑える投球を披露した。
同年ボストン・レッドキャップス(現・アトランタ・ブレーブス)に投手として入団し、メジャーデビュー。ボストンでは1試合だけに登板し、11個の三振を奪って勝ち投手となっている。翌1880年から3年間は、ウースター・ルビーレッグスに所属しチームの主力投手となる。1880年は66試合に登板して32勝32敗、防御率2.15の成績を残した。また救援投手を務めることもあり、この年3つのセーブを挙げた(当時は殆どの投手が先発完投していたため、この年のセーブ数3はリーグ最多であった)ことが後の試合記録から判っている。
1880年6月12日、ウースターで行われたクリーブランド・ブルースとの試合で、MLB史上初となる完全試合を達成した。この試合でリッチモンドは5つの三振を取り、外野へ飛んだ打球はわずか3つしかなかった。そのうちの1つは、右翼手から一塁への送球で打者をアウトにした「ライトゴロ」であった。味方のウースターもこの試合は3安打しかできず、5回に挙げた1点も相手エラー絡みで挙げたものであった。
1881年にも25勝を挙げたが、1882年には腕の負傷から大きく成績を落とし、14勝33敗の成績だった。同年ルビーレッグスが破綻したのを受け、1883年にはプロビデンス・グレイズに移籍したが、登板は12試合にとどまった。元々医師になる志があったリッチモンドは、医学の勉強を続けるための学資を野球で稼ぐつもりだったようで、この年を最後に26歳で一度野球から身を引いた。3年後の1886年に現役復帰し、シンシナティから数試合に出場するものの、それ以後リッチモンドは医師としての人生を歩み、晩年には大学の教授を務めた。1929年にオハイオ州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リー・リッチモンド」の詳細全文を読む




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