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ジョン・レスリー(''John Leslie''、1945年1月25日 - 2010年12月5日)は、長年プロデューサー・監督としても活躍を続けたアメリカ合衆国のポルノ男優。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。Louis T. Beagle、John Leslie Dupre、Frederick Watsonなどともクレジットされた。 == 来歴 == 1973年に『''Sensuous Delights''』でデビュー以来、レスリーは約300本のポルノ映画に出演し、男優として多数の賞を獲得している。彼はセカ、ケイ・パーカー、アネット・ヘブン、クリスティ・キャニオンなど同時代の著名なトップポルノ女優たちと共演した。最も注目に値する出演作は『私に汚い言葉を云って ''(Talk Dirty To Me)''』(1980年)、『先天性アクメニアン ''(Nothing To Hide)''』(1981年)、『もっと汚い行為(こと)をして ''(Talk Dirty To Me, Part II)''』(1982年)である。 彼は監督に転身したポルノ男優の草分けの1人であった。監督デビュー作は1987年の『ナイト・シフト・ナース/白衣の猥褻たち ''(Nightshift Nurses)''』。以来レスリーは『トリー・ウェルズ/カメレオン・レディ ''(The Chameleon)''』(1989年)、『媚獣伝説/キャット・ウーマン ''(Curse of the Catwoman)''』(1992年)、『飼われた女 ''(Dog Walker)''』(1994年)、『''Drop Sex''』(1997年)、更にシリーズものの『''Voyeur''』、『''Fresh Meat''』、『''Crack Her Jack''』など90本以上のポルノ映画を監督した。彼は監督としても数多くの賞を獲得している。最近の仕事の多くが、アダルトビデオにおける現在の流行に合わせた『''Fresh Meat''』や『''Crack Her Jack''』シリーズのような「ゴンゾ」ものではあるが、レスリーは長編映画、あるいは「セックスドラマ」も撮り続けている。ごく最近の2007年、彼はブリアナ・ラブ ''(Brianna Love)'' を全面に押し出した映画『''Brianna Love: Her Fine Sexy Self''』を監督した。 1970年代初め、彼はミシガン州南東に拠点を置くバンド、ブルックリン・ブルース・バスターズのヴォーカリスト兼ハーモニカ奏者だった。ブルックリン・ブルース・バスターズは直ぐに出世して、ジョン・リー・フッカーやヴィクトリア・スパイビー(彼らは「おねえ」と呼んでいた)の東海岸のショーでバックで演奏した。また1973年のアナーバー・ブルース&ジャズ・フェスティバルでスパイビーのバックバンドを務めた。同じ頃レスリーは、しばらくミシガン州アナーバー のバー「Mr. Flood's Party」でバーテンダーとしても働いていた。 レスリーはAVN殿堂、 Legends of Erotica、XRCO殿堂のメンバーである。 2010年12月5日、心臓発作のために死亡〔Adult Legend John Leslie Remembered AVN News 2010-12-6〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・レスリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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