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ジョン・ベン(ジョン・ヴェン、John Venn FRS〔Anon (1926). "Obituary Notices of Fellows Deceased: Rudolph Messel, Frederick Thomas Trouton, John Venn, John Young Buchanan, Oliver Heaviside, Andrew Gray". ''Proceedings of the Royal Society A: Mathematical, Physical and Engineering Sciences'' 110 (756): i–v. 〕〔John D. Pickles, (2004). ‘Venn, John Archibald (1883–1958)’, ''Oxford Dictionary of National Biography''. Oxford University Press〕1834年8月4日 - 1923年4月4日)は、イギリスの論理学者・哲学者。ベン図の考案者として知られ、その成果は集合論、確率、論理学、統計学、計算機科学をはじめ、様々な分野で利用されている。 == 生い立ち == 1834年8月4日、イギリスのヨークシャー州キングストン・アポン・ハルで、ドライプール地区司教ヘンリー・ベンとマルタ・サイクス夫妻の間に生まれた。母は3歳のときに死去した。家系に従い祖父ジョンと同じ聖公会に所属し、1859年に司教となり、ハートフォードシャー州チェスハント、次いでサリー州モートレイクに勤めた。 幼少時は家庭教師から教育を受けていたが、1853年からケンブリッジ大学のゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに学び、1857年に数学の学位を取得した。1862年、フェロー研究員としてケンブリッジへ戻り、倫理科学(Moral science)の講師を務めるともに、論理学及び確率論を研究・教授した。 1868年、スザンナ・カーネギー・エドモンストーンと結婚し、一人息子ジョン・アーチボルド・ベンをもうけている。 1883年、自らの哲学と聖公会主義は矛盾すると結論し、聖職を退任した。また同年王立協会のフェロー研究員に選出され、ケンブリッジ大学からはSc.D.(上位博士号)を授与されている。 1923年に死去したが死因は明らかでない。 生誕180周年となった2014年8月4日には、グーグル検索画面のロゴ(Google Doodle)としてドゥードルが使用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・ベン」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 John Venn 」があります。 スポンサード リンク
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