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ジョヴァンニ・ガブリエーリ : ミニ英和和英辞書
ジョヴァンニ・ガブリエーリ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョヴァンニ・ガブリエーリ : ウィキペディア日本語版
ジョヴァンニ・ガブリエーリ[ちょうおん]

ジョヴァンニ・ガブリエーリGiovanni Gabrieli, 1554年または1557年? - 1612年8月12日)はイタリア作曲家オルガニスト。当時最も影響力のあった音楽家であり、ヴェネツィア楽派の頂点に立ってルネサンス音楽からバロック音楽への過渡期を代表する存在となった。諸外国、とりわけドイツ語圏から留学生を受け入れ、分割合唱による作曲技法を国外に広めた。
==生涯==
カルニア出身の父親のもとにヴェネツィアに生まれる。5人きょうだいのひとりであった。幼少期についてはほとんど知られていないが、おそらくおじのアンドレーアに師事していよう。後年の著述のいくつかから窺い知れるように、このおじに育てられたも同然だったらしい。ミュンヘンに留学し、バイエルン公アルプレヒト5世の宮廷にて高名なオルランド・ディ・ラッソに師事。1579年ごろまで同地に滞在した可能性がきわめて高い。
1584年にヴェネツィアに帰国。1585年クラウディオ・メールロの後任として、聖マルコ大寺院の首席オルガニストに就任。翌年のおじの死に続いて、首席作曲家の地位も手に入れた。この頃、おじの作品を出版にそなえて校訂しており、ジョヴァンニ・ガブリエーリの尽力がなければアンドレーアの作品は散逸していたかもしれない。というのもアンドレーアは、自作の出版にほとんど頓着しなかったからである。しかしジョヴァンニは、おじの楽曲が卓越したものだからこそ、多くの時間を割いて編集・校正に携わるのだと考えていた。
スクォーラ・グランデ・ディ・サンロッコ教会のオルガニストの地位も手に入れ、こちらの席も終生にわたって暖め通したことにより、ガブリエーリの音楽活動はさらに勢いづいた。この地位は、ヴェネツィアのすべての宗教団体のうちで最も威信があり、かつ最も裕福であり、音楽体制の華やかさにおいては聖マルコ大寺院に次ぐ存在だったからである。ジョヴァンニ・ガブリエーリの作品のほとんどは、この教会のために作曲されたが、それでもおそらく聖マルコ大寺院のために作曲された曲より多いということはない。
聖マルコ大寺院は、卓越した音楽の長い伝統があり、ガブリエーリはそこで演奏された作品によって、ヨーロッパ中で最も有名な作曲家となった。ガブリエーリの影響力のある曲集『宗教曲集』 (サクレ・シンフォニエ、''Sacrae symphoniae'')(1597年)の発行によって、ヨーロッパ中の作曲家、とりわけドイツ出身の作曲家が、ヴェネツィアに留学することが流行り出した。明らかにガブリエーリは新しい弟子たちに、イタリアで作曲されたマドリガーレを研究させ、壮麗なヴェネツィア楽派複合唱様式だけでなく、より親密なマドリガーレ様式をも母国に持ち帰らせたのである。ハンス・レーオ・ハスラーハインリヒ・シュッツミヒャエル・プレトリウスらは、過渡期の初期バロック音楽を北国のドイツに移植し、その後の音楽史の動向に決定打をもたらした。大バッハの音楽によって最高潮に達するドイツ・バロック音楽の諸作品は、ヴェネツィアに根を持つこの強力な伝統の上に築き上げられたのである。
ガブリエーリは、サン・ロッコ教会ともつながりを持ち、その声楽家や器楽奏者たちとも共演した。その演奏風景の記録は、イギリスの作家トマス・コライヤット(Thomas Coryat)の紀行文の中で伝えられている。
ガブリエーリは、1606年ごろから次第に体調が悪くなり、もはや演奏活動がままならなくなったために、教会当局が後継者探しに乗り出した。1612年腎結石の悪化から亡くなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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