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ジョヴァンニ・パラトゥッチ(Giovanni Palatucci、1909年5月31日 - 1945年2月10日)は、イタリアの警察官、公安担当副署長。 1937年から1944年まで、当時イタリア領だったフィウメ(クロアチアのリエカ)の警察署で外国人管理事務を担当し、第二次世界大戦中に数千人のユダヤ人を強制収容から救ったとされるが、2013年に、従前の評価に対する疑義が提起され、議論を呼んでいる〔Palatucci, tutte le ombre sulla vita dello «Schindler italiano» , Corriere della Sera, 25 maggio 2013.〕。 == 概要 == イタリア南部カンパニア州アヴェッリーノ県モンテッラ出身。兵役を経験した後、トリノ大学で法学を学んで1932年に卒業し、1935年に弁護士となった後、ローマへ赴き内務官僚の資格を得た。 1937年、フィウメに派遣されて外国人管理事務に就くが、1938年にファシスト政権が反ユダヤ政策を強化したころから、ユダヤ人に関する書類やビザの偽装を始め、強制収容を免れるよう工作し、実際に強制収容をする場合は移送先をおじが司教をしていたカンパーニャに変更して多数のユダヤ人を救ったとされる〔。1943年のカッシビレの休戦後も、ナチス・ドイツがフィウメを占領すると、ユダヤ人関係の文書を破棄し、ドイツ軍のユダヤ人迫害計画の情報をユダヤ人に流して逃亡を助けるなどしたが、1944年9月13日にゲシュタポに逮捕され、トリエステの監獄に送られ死刑を宣告された〔。その後、減刑されて強制収容となり、10月22日にダッハウ強制収容所に送られ、そこで死んだ〔。 パラトゥッチの行動に対して、イタリア共和国は民間人勲章(Merito civile) 金賞を追贈し、ヤド・ヴァシェム(ホロコースト犠牲者を記念するイスラエルの国立記念館)は諸国民の中の正義の人と認定(1990年9月12日)、カトリック教会は神の僕 (Servo di Dio) の称号を与えた。 パラトゥッチは、ドイツのオスカー・シンドラーになぞらえて「イタリアのシンドラー (Italian Schindler)」と称され〔、列福を求める運動もあった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョヴァンニ・パラトゥッチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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