翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョーイ・フェイタール
・ ジョーイ・ボット
・ ジョーイ・ボトー
・ ジョーイ・マイヤー
・ ジョーイ・マーキュリー
・ ジョーイ・ライアン
・ ジョーイ・ラモーン
・ ジョーイ・ローレンス
・ ジョーイ・ローレン・アダムス
・ ジョーイ・ヴィラセニョール
ジョーイ・ヴィラセノール
・ ジョーイ・ヴォット
・ ジョーイ・ヴォトー
・ ジョーウィルフライ・ツォンガ
・ ジョーウダ盟
・ ジョーウチ・ヴォーディ
・ ジョーウチ・ヴォーディの戦い
・ ジョーウチ・ヴォードィ
・ ジョーエット
・ ジョーエット (DD-41)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョーイ・ヴィラセノール : ミニ英和和英辞書
ジョーイ・ヴィラセノール[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョーイ・ヴィラセノール ( リダイレクト:ジョーイ・ヴィラセニョール ) : ウィキペディア日本語版
ジョーイ・ヴィラセニョール[ちょうおん]

ジョーイ・ヴィラセニョールJoey Villaseñor1975年10月17日 - )は、アメリカ合衆国男性総合格闘家カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ジャクソンズMMA所属。元KOTC世界ミドル級王者。
ムエタイ柔術などの幅広い分野のバックボーンを持つ。強靭な肉体から繰り出す打撃パウンドを得意技とし、その体躯の強さで相手を叩きのめすファイトスタイルから「金網のヘラクレス」、「ドリームスマッシャー(夢を打ち砕く男)」の異名を持つ。
== 来歴 ==
9歳の時にカリフォルニア州からニューメキシコ州に移住。高校時代にPPVUFCを観戦し、感銘を受け総合格闘技を志した。アマチュアボクシングで16戦16勝15KOの成績を収め1999年4月に総合格闘技デビュー。
2000年3月にIFC全米ライトヘビー級(-88kg)王座を獲得〔International Fighting Championshipswarrior’s Challenge Ix Full Contact Fighter 2000年7月10日〕。その後デビッド・テレルに一本負けし王座を失うも、2004年9月にブライアン・フォスターを破りKOTC世界ミドル級王座獲得に成功した。KOTCにて15戦15勝(そのうち13勝は完全決着)という記録を作った。
2006年6月4日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級(-83kg)グランプリ1回戦で長南亮と対戦し、1-2の判定負けを喫した。
2006年10月21日、PRIDE.32ロビー・ローラーと対戦し、開始22秒跳び膝蹴りでTKO負けを喫した。
2007年2月10日、初参戦となったEliteXCデビッド・ロワゾーと対戦し、判定勝ちを収めた。
2007年6月22日、Strikeforce: Shamrock vs. Baroniで行われた初代EliteXC世界ミドル級王座決定戦でムリーロ・ニンジャと対戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2007年9月15日、EliteXCで福田力と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。
2010年5月15日、Strikeforce: Heavy Artilleryホナウド・ジャカレイと対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【Strikeforce】ジャカレがSF2勝目、ビラセニョール退ける MMAPLANET 2010年5月16日〕。
2010年9月11日、Shark Fightsでダニーロ・ビルフォートと対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【Shark Fights13】ビルフォート、堅くヴィラセニョール下す MMAPLANET 2010年9月12日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョーイ・ヴィラセニョール」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.