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ジョージ・アンドリュー・ロメロ(George Andrew Romero, 1940年2月4日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督。脚本家、編集者、俳優、作曲家でもある。ニューヨーク市出身。父親はキューバ系、母親はリトアニア系。 ゾンビ映画の第一人者。ホラー映画の巨匠、カルト映画の鬼才として知られる。 == 人物 == 幼少時からの映画好きで『ホフマン物語』(1952年製作のイギリス映画:ミュージカル)に感銘を受け、映画制作の夢を志す。ベラ・ルゴシ主演の古典的名作『魔人ドラキュラ』(1931年)、ボリス・カーロフ主演『フランケンシュタイン』(1931年)なども非常に好きだったようで、それが後年のゾンビものなどのキャラクターの設定やホラー映画製作にも大きな影響を与えた。その映画好きが昂じ、1954年にはロメロが中学生の時に父親から買ってもらった8ミリカメラで『The Man from the Meter』という8ミリ映画を製作。この作品の撮影の際、火を点けた人形をビルから落として警察に大目玉をくらったという逸話がある。 ピッツバーグのカーネギー・メロン大学在学中の1959年、アルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画の傑作『北北西に進路を取れ』の撮影現場でアルバイトをするが、効率性重視なハリウッド流の映画製作に疑問を抱くようになる。 大学卒業後、地元ピッツバーグで1963年に友人とともに映像製作会社「ラテント・イメージ」を設立し、主にCMや産業用フィルムの製作や監督を手掛ける。しかし劇場用映画製作の夢を捨てがたく、会社勤めの傍ら友人のジョン・A・ルッソやラッセル・トレイナーら有志らとお金を出し合い、週末などを利用して映画を作ることを決意する。物語はかねてよりリチャード・マシスン原作のSFサスペンス小説『アイ・アム・レジェンド』に感銘を受けていたロメロがその作品をヒントとして、1968年に『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を製作した。この映画は興行的に失敗したが、後にドライブインシアターやテレビの深夜放送でカルト的人気を得る。 1973年に製作者と出会い、ローレル・プロダクションを設立。同社製作の現代吸血鬼もの『マーティン/呪われた吸血少年』(1977年)がヨーロッパで話題を呼び、ロメロの才能に気付いたイタリアンホラーの名監督ダリオ・アルジェントが共同出資を申し出て、1978年に『ゾンビ』(原題:''Dawn of the Dead'')を完成させる。代表作となったこの映画は150万ドルという低予算ながら、世界中で大ヒットした。その後、ロメロは単なるホラー映画監督の殻からの脱皮を図るべく他ジャンルの作品に意欲を示し、社会派ドラマやラブ・ストーリーなども監督するが、成功には至っていない。 1982年には、盟友スティーブン・キングの脚本で『クリープショー』の製作を皮切りに再びホラー映画を監督するようになった。『ゾンビ』は2004年にリメイクされ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(監督:ザック・スナイダー、原題は1978年版と同じ)の邦題で公開された。そして、2005年にはデニス・ホッパーやアーシア・アルジェントら有名スターを起用しての久々のゾンビ映画『ランド・オブ・ザ・デッド』を監督したが、興行は振るわなかった。しかし、ロメロの生み出したホラー映画は世界中のゲームや映画などの映像クリエーターらに、現在でも多くの影響を与え続けている。また、『マーティン』や『ゾンビ』では俳優として出演しているほか、ジョナサン・デミ監督からの熱烈なオファーにより『羊たちの沈黙』(1991年)ではFBI捜査官役で出演している。また、ホラーゲーム『バイオハザード』の映画版を監督する話もあったが、製作段階で降板してしまう。 ハリウッドとの関連については『モンキー・シャイン』や『ダーク・ハーフ』をメジャー・スタジオで監督して『The Mummy』に抜擢されるが、こちらもメジャー・スタジオの製作方式とロメロの作風が相容れず、実現せずに終わった。ちなみに、『The Mummy』は後にスティーヴン・ソマーズ監督により『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』として製作された。 映画『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(2007年)や『サバイバル・オブ・ザ・デッド』(2009年)を経て2010年に発売されたゲームソフト『コール オブ デューティ ブラックオプス』におけるゾンビモード追加コンテンツでは、ロメロ自身がゾンビとなって出現。ステージタイトルは『Call of the dead』(コール・オブ・ザ・デッド)である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョージ・A・ロメロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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