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ジョージ・アルトマン(George Lee Altman , 1933年3月20日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 来歴・人物 == にシカゴ・カブスと契約。4月11日にメジャーデビューし、すぐに主力選手として活躍する。にセントルイス・カージナルス、にニューヨーク・メッツに移籍。に古巣カブスに復帰。カブス時代はアーニー・バンクスの後の5番を打ち、記録の援護をした選手として知られた。メジャーでの愛称は「ビッグジョージ」。 、東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。同年は打率.320、34本塁打、100打点の好成績を挙げてチームの勝利に貢献。打点王とベストナインに輝いた。・には2年連続ベストナインに輝いた。 には6試合連続本塁打のリーグ記録を樹立。1974年まで常に20本塁打以上を放ち、チームの主砲として貢献した。1974年に試合中に倒れ、途中交代。その後、初期の大腸癌が発見され、オリオンズは本人の健康状態を考えて解雇した。しかし、には阪神タイガースにテスト入団し、1シーズンプレーして帰国。日本プロ野球(NPB)に在籍した外国人選手で初めて200本塁打を達成した。また、同年4月6日の中日戦ではセ・リーグ最年長(42歳0ヶ月)満塁本塁打を記録(2010年8月25日に金本知憲が4ヶ月更新)。5月6日にはセ・リーグ最年長(42歳1か月)で三塁打を放つ(2011年9月23日の巨人戦で金本知憲が43歳5か月で更新)〔週刊ベースボール、2011年10月10日号、95頁〕。勝負強いアルトマンが5番に入ることで、敬遠されることが少なくなった4番の田淵幸一はこの年、王貞治を抑えて本塁打王になった。 NPB通算205本塁打は当時(1975年シーズン終了時)の外国人最多。この記録は翌に近鉄のクラレンス・ジョーンズに破られる(後にロッテのレロン・リーが記録を更新)が、アルトマンが帰国の際、見送りに来てくれたジョーンズに「俺の記録は君が一日でも早く破ってくれ」と依願している。 敬虔なるキリスト教徒として知られ、酒・タバコなどの嗜好品は嗜まず日曜、祝日にはデーゲームがあろうと教会での礼拝を怠らなかった。また東京スタジアムにアルトマン・シートを設けてファンを招待し、190cm以上の風貌と積極的なチャリティー活動から「足長おじさん」と呼ばれて親しまれた。 引退後はシカゴで大豆の相場師となった〔日本経済新聞1976年10月27日19面「足長おじさんアルトマン 商品取引所で奮戦『日本の野球は新聞で見ている』」日本経済新聞社1976年10月p917〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョージ・アルトマン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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