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ジョージ・アレック・エフィンジャー(George Alec Effinger, 1947年1月10日 - 2002年4月27日)は、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド生まれの小説家、SF作家。日本への紹介がなされ始めた1970年代には「エフィンガー」と表記。 デビュー作から評価が高くネビュラ賞、ヒューゴー賞、ジョン・W・キャンベル新人賞にノミネートされるが、長編では受賞にはいたらなかった。 21世紀の中東を舞台にしたマリード・オードラーンが主人公の三部作は、サイバネティクスによる電脳移植と擬似人格モジュールの挿入で個人の個性を変更できる世界で、暴力、麻薬、犯罪を扱ったハードボイルドなサイバーパンクで、彼の最も成功した作品として知られる。4作目となるはずだった''Nights of Doubt and Sorrow''は2つの章が書かれ、''Budayeen Nights''(短編集)に収録された。 O・ニーマンド(''O. Niemand'')の筆名でのパスティーシュ小説や複数の筆名でSF以外の作品も創出している。 少年期からの持病は、長年の治療で巨大な医療費が必要となり、健康保険に加入していなかったため支払いが滞り、病院側は訴訟を起こし全ての版権の所有権を引き渡す要求をした。エフィンジャー医療基金などの助けにより、訴訟は取り下げられ、知的所有権を失うことは無かった。 == 略歴 == *1970年、クラリオンSF創作講座(''Clarion anthology'')に参加し小説を書き始める。 *1971年、ファンタスティックマガジン(''Fantastic'')に"The Eight-Thirty to Nine Slot"が掲載され作家デビュー。 *1972年、最初の長編小説"What Entropy Means to Me"発表。ネビュラ賞にノミネートされる。 *1974年、12歳に罹った腹部腫瘍が再発し手術、入院。その後、数ヶ月おきに入退院を繰り返す。 *1986年、自宅の火事で蔵書を含め全て焼失、第2度の火傷を負う。 *1988年、『重力が衰えるとき』がヒューゴー賞にノミネートされるが、デイヴィッド・ブリンの『知性化戦争』に敗れ第2席となる。 *1988年、『シュレーディンガーの子猫』(''Schrödinger's Kitten'')(中篇小説)がネビュラ賞を受賞。翌1989年、ヒューゴー賞、シオドア・スタージョン記念賞を受賞。 *1990年、『太陽の炎』がヒューゴー賞にノミネートされるが、ダン・シモンズの『ハイペリオン』に敗れ第2席となる。同年、『重力が衰えるとき』の設定でPC-DOS版ゲームの"Circuit's Edge"が発売される。 *1991年、『シュレーディンガーの子猫』(''Schrödinger's Kitten'')(中篇小説)が星雲賞を受賞。 *1992年、ナイアガラ・フォールズSF協会によりエフィンジャー医療基金が設立される。 *2002年、4月ルイジアナ州ニューオリンズで逝去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョージ・アレック・エフィンジャー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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