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ジョージ・ハワード・ブレット(George Howard Brett, 1953年5月15日 - )は、MLBの元選手。ポジションは三塁手・一塁手。アメリカ合衆国ウェストバージニア州グレンデール出身。ニックネームは「Gorgeous George〔生島淳 歴代「ヒットメーカー」セレクション - ジョージ・ブレット『メジャーリーグ100年「記録」の達人。』ベースボールマガジン社、2002年、雑誌67673-04、24頁〕」,「Mullet」。現在はカンザスシティ・ロイヤルズで球団副社長を務めている。 選手時代はカンザスシティ・ロイヤルズ一筋で21シーズン過ごしたフランチャイズ・プレイヤーである。「真のアメリカン・ヒーロー」と呼ばれたノーラン・ライアンとともに1970年代から1990年代にかけて球界を背負うスターであり続けた〔北矢(1994年) p.142〕。 5歳上の実兄ケン・ブレットは元投手。 == 経歴 == のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから2巡目に指名を受け入団。8月2日のシカゴ・ホワイトソックス戦でメジャーデビュー。は5月にメジャーに昇格し、5月8日のテキサス・レンジャーズ戦でファーガソン・ジェンキンスからメジャー初本塁打。後半戦で打率.317と調子を上げ、打率.282・2本塁打の成績でルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では3位に入った。は打率.308・11本塁打・90打点、共にリーグトップの195安打・13三塁打を記録。は前半戦で打率.365を記録し、オールスターゲームに初選出され先発出場を果たした。いずれもリーグトップの打率.333・215安打・14三塁打の成績で首位打者のタイトルを獲得し、チームは初の地区優勝。ニューヨーク・ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第5戦の8回に同点3点本塁打を放つなど打率.444と活躍するが、チームは2勝3敗で敗退。MVPの投票ではサーマン・マンソンに次ぐ2位に入った。は打率.312・22本塁打・88打点・13三塁打を記録し、チームは地区連覇。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.300を記録するが、チームは2勝3敗で敗退。は128試合の出場ながらリーグトップの45二塁打を記録し、チームは地区3連覇を果たす。3年連続の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第3戦でキャットフィッシュ・ハンターから初回先頭打者本塁打を含む3打席連続本塁打を放つがチームは逆転負けを喫し、1勝3敗でまたも敗退した。は5月28日のボルティモア・オリオールズ戦でサイクルヒットを達成し、延長16回にサヨナラ本塁打を放った。打率.329・23本塁打・107打点、共にリーグトップの212安打・20三塁打の好成績で20-20-20も達成したが、チームは地区2位で4連覇を逃した。MVPの投票では3位。 は6月から故障で1ヶ月離脱するが、復帰後の7月は打率.494、8月は.430と絶好調で、この間7月18日から30試合連続安打を記録〔千葉功「三冠王」と「4割打者」への厚い壁 『メジャーリーグ 栄光の「大記録」』、ベースボールマガジン社、2005年、雑誌67674-33、71頁〕。8月26日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では5安打を記録して.407まで上昇するが、9月に右腕の腱を痛めて9試合に欠場〔。復帰後は失速し、のテッド・ウィリアムズ以来の打率4割には惜しくも届かなかった。それでも打率.390・24本塁打・118打点、いずれもリーグトップの出塁率.454・長打率.664・OPS1.118の好成績で2度目の首位打者を獲得し、チームの2年ぶりの地区優勝に大きく貢献。4度目の対戦となったヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2本塁打・4打点の活躍し、チームは3連勝で悲願のリーグ初優勝を果たす。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは、痔の手術を終えてから5時間後の第3戦で本塁打を放つ〔など打率.375を記録するが、チームは2勝4敗で敗退した。オフに初のMVP、同年から制定されたシルバースラッガー賞を受賞した。は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮されたこともあって89試合の出場だったが、打率.314を記録。同年は前後期制の変則日程となり、チームは後期優勝。オークランド・アスレティックスとのディビジョンシリーズでは打率.167に終わり、チームは3連敗で敗退した。は4月20日のデトロイト・タイガース戦で9回の逆転2点本塁打を含む3本塁打7打点を挙げるなど4月は打率.460を記録。7月24日のヤンキース戦では有名なパインタール事件が発生する(後述)。途中故障もあったものの打率.310・25本塁打・93打点、リーグトップの長打率.563を記録した。は開幕に間に合わず、5月18日に復帰。104試合の出場で打率.284・13本塁打と不本意な成績だったが、チームは4年ぶりの地区優勝。タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.231と振るわず、チームは3連敗で敗退。 は前半戦で打率.358、後半戦で18本塁打を記録し、打率.335・112打点、キャリアハイの30本塁打・103四球、リーグトップの長打率.585・OPS1.022の好成績でチームは地区連覇。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第3戦で2本塁打を含む4安打3打点を挙げるなど打率.348・3本塁打を記録。チームは1勝3敗から3連勝で5年ぶりのリーグ優勝を果たし、シリーズMVPを受賞。セントルイス・カーディナルスとのワールドシリーズでは本塁打こそ無かったが打率.370を記録。チームは1勝3敗と追い込まれたが、第6戦の「世紀の誤審」もあってタイに戻し、第7戦で勝利し5年ぶりのワールドチャンピオンに輝いた。MVPの投票ではドン・マッティングリーに次ぐ2位に入り、2度目のシルバースラッガー賞、キャリア唯一のゴールドグラブ賞を受賞した。は前半戦で打率.329・13本塁打を記録し、13年連続となるオールスターゲームに選出される。打率.306・24本塁打・103打点の成績で3度目のシルバースラッガー賞を受賞。は前半戦は打率.267・2本塁打に留まるが、7月25日のブルージェイズ戦で2度目のサイクルヒットを達成するなど後半戦で打率.388・12本塁打・58打点〔と調子を上げ、打率.329、リーグトップの45二塁打を記録して3度目の首位打者を獲得。3つのディケイド(1970・80・90年代)での首位打者獲得は史上唯一である。9月30日のカリフォルニア・エンゼルス戦で通算3000安打、5月13日のクリーブランド・インディアンズ戦で通算300本塁打を達成〔。同年限りで現役を引退した。ロイヤルズ一筋でプレイしたフランチャイズ・プレイヤーであり、通算試合数・打数・得点・安打・二塁打・三塁打・本塁打・打点・四球の各部門で球団記録を保持している。 4月7日に背番号『5』が球団の永久欠番に指定された。に資格初年度でアメリカ野球殿堂入り。現在はロイヤルズの球団副社長を務めている。 2013年5月30日、不振にあえぐロイヤルズの打撃陣を救うため、ジャック・マルーフに代わりブレット球団副社長が自ら打撃コーチに就任〔http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2013053100164〕、永久欠番になっている背番号5が復活した〔http://kansascity.royals.mlb.com/team/coaches.jsp?c_id=kc〕。 2014年10月22日、29年ぶりにプレーオフに進出したロイヤルズの、本拠地カウフマン・スタジアムで行われたワールドシリーズの第2戦の試合前の始球式を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョージ・ブレット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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