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ジョー・クローニン(Joseph Edward Cronin, 1906年10月12日 - 1984年9月7日) は、1920~1940年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手、および監督。後に第4代のアメリカンリーグ会長職を務めている。現役時代の主なポジションは遊撃手。カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。右投げ右打ち。 == 経歴 == 1926年にパイレーツからデビュー。ピッツバーグ・パイレーツには2年在籍したが目立った活躍はできず、1928年のシーズン直前にマイナーのカンザスシティ球団を経てワシントン・セネタースに移籍する。1929年にショートのレギュラーに定着、翌1930年に打率.346、203安打、126打点を挙げ、その年のスポーティングニュース誌の年間最優秀選手となる(正式な最優秀選手表彰が始まったのは、この翌年の1931年のことである)。クローニンはこの年から5年連続で100打点を記録する。 1933年にはセネタースの監督を兼任、同年チームをワールドシリーズ出場に導いたが、翌年オフに、セネタースのオーナーだったクラーク・グリフィスの意向によりボストン・レッドソックスにトレードされる。レッドソックスでは選手兼任監督として1945年まで試合に出場した。監督兼任時代の1943年6月17日のダブルヘッダーでは、両方の試合で代打本塁打を放った記録がある。 レッドソックスの監督は1947年まで勤めたが、成績はリーグ2位が最高、というシーズンが続く。当時レッドソックスのゼネラルマネージャーだったエディ・コリンズの補強が功を奏し、アメリカンリーグを制することができたのは監督就任12年目の1946年のことになる。その後1958年まで、コリンズの後をついで球団のゼネラルマネージャーをしていた。 1956年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出される。その後1959年から1973年まで、ウィル・ハリッジの後をついでアメリカンリーグの第4代会長を務めた。 1984年にマサチューセッツ州にて死去。同年、レッドソックスは彼の背番号『4』を永久欠番に指定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョー・クローニン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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