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ジョー・コッカー : ミニ英和和英辞書
ジョー・コッカー[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

ジョー・コッカー : ウィキペディア日本語版
ジョー・コッカー[かー]

ジョー・コッカーOBE, John Robert 'Joe' Cocker 1944年5月20日 - 2014年12月22日)はイギリス・イングランドサウス・ヨークシャーシェフィールド出身の歌手。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第97位。
== 略歴 ==
公務員の息子として育ち、学校を辞めガスの配管工として働きながら15歳頃からパブで音楽活動を始める。当初はヴァンス・アーノルドという芸名で活動していた。1964年にデッカ・レコードからデビューするが不発に終わり、シェフィールドにてグリース・バンドとともにライヴ活動を行いブルー・アイド・ソウルな唄いかたやライヴ・パフォーマンスが評判を呼び、1968年にクリス・ステイントンとの共作「マジョリーン」でA&Mレコードから再デビュー。同年にビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のカバーが全英チャート1位の大ヒット、そしてイングランドのみならずFM放送局を通じてアメリカオランダヴェネズエラなどの国で脚光を浴びる。1969年には彼の人気を決定づけたウッドストック・フェスティバルに出演。公開された映画でのエア・ギター・パフォーマンス(本物のギターも弾ける)とパワフルな歌唱でアメリカの聴衆にも強い印象を与えた。またレオン・ラッセルの元制作された2枚目のシングル「Delta Lady」も全英10位を記録する。
1970年に再びビートルズの「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」のカバーやトラフィックの「Feelin' Alright」でアメリカのチャートにも食い込み、同年のアメリカ・ツアーはレオン・ラッセルが仕掛け人となり、メディスン・ショウの一座の様な大所帯のバック・バンドが話題となった。マッド・ドッグス&イングリッシュメン・ツアーは商業的には成功に至らなかったが、しかし、この模様を収めたフィルモア・イーストでのライヴ盤『マッド・ドッグス&イングリッシュメン』(1970年)はヒットした。収録されているリタ・クーリッジが唄う「スーパースター」は、後にベット・ミドラーカーペンターズに歌い継がれている。
レオン・ラッセルは去り、相棒のクリス・ステイントンも去りツアーに疲れたコッカーには金銭的にも恵まれず、1972年のマッド・ドッグス&イングリッシュマン・ツアーの滞在先のオーストラリアで大麻所持の容疑で逮捕されてしまう。オーストラリアの連邦警察当局は48時間以内にオーストラリアから出国する様に命じられた。これに対して多くのファンが抗議活動を行い、これが発展してオーストラリアの大麻の合法化の討論にまで発展した。
1974年にようやく『I Can't Stand In The Rain』でフル・アルバムを制作、1975年にはアルバムからのシングルでビリー・プレストンのカバー「ユー・アー・ソー・ビューティフル」がビルボードのヒット・チャートで5位になりシンガーとしてのキャリアを高めて行く。アルバム「Jamaica Say You Will」そして翌1976年にはジャマイカでの録音でスタッフピーター・トッシュエリック・クラプトンらとのアルバムをリリースしている一方、長年の薬物中毒アルコール依存の脱却をはかり1981年にはゲスト・ヴォーカルで参加したザ・クルセイダーズの「Standing Tall」(1980年)がグラミー候補になり、1982年にはジェニファー・ウォーンズとデュエットした映画『愛と青春の旅立ち』の主題歌「Up Where We Belong」が全米1位のヒットを記録した。これ以降大衆的な歌手としてアルバムをコンスタントにリリースできるキャリアを確立した。
1994年のウッドストック25周年記念コンサートに参加して「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を披露している。
2007年に女王陛下より功績をたたえられてOBEを受賞した。
2014年12月22日コロラド州クロフォード肺がんのため死去〔ジョー・コッカー氏死去=英出身の歌手 時事通信 2014年12月23日閲覧〕。70歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・コッカー」の詳細全文を読む




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