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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ヴァン&シェンク (Van and Schenck) は、1910年代から1920年代にかけて人気のあったアメリカ合衆国のエンターテイナー、バリトンのガス・ヴァン(Gus Van、本名:アウグスト・フォン・グラーン (August Von Glahn)、1886年8月12日 - 1968年3月12日)と、テノールのジョー・シェンク(Joe Schenck、本名:ジョセフ・トゥーマ・シャンク (Joseph Thuma Schenck)〔姓の発音は「シャンク」であるが、日本語では「シェンク」と表記されることが多い。〕、1891年ころ - 1930年6月28日)の2人組。ヴォードヴィル界の人気スターであり、1918年から1921年の4年間、『ジーグフェルド・フォリーズ (''Ziegfeld Follies'')』に連続して出演した。また、エマーソン (Emerson) やビクター、コロムビアなどのレコード会社から、数多くのレコードを出した。 == 経歴 == シェンクがピアノを弾きながら2人で歌い、お笑いを織り込むという演目を行なった。ヴァンは特に、方言など喋り方に絡めた笑いを取るのに長けており、地方ごとの、あるいはヨーロッパ諸国出身者の話し振りを、何でも真似てみせることができた。この2人組の代表的なノベルティ・ヒットのひとつは、イタリア料理を賛美する「Pastafazoola」という曲で、(イタリア系移民のように)それらしく演じられるものであった。ヴァンの心のこもったバリトンと、シェンクの高音のテノールはハーモニーもよく、彼らは「歌の国の優勝バッテリー (the pennant-winning battery of songland)」と称された。ラジオ番組への出演もし、さらに初期のトーキー映画にも出ており、短編ではヴァイタフォンとムーヴィートーン (Movietone sound system) の両方にそれぞれ数本出演しており、長編の主演映画も1本、MGMの『''They Learned About Women''』(1930年)がある。 第一次世界大戦中も、彼らはユーモラスな曲を録音し続けたが、そのひとつ「I Don't Want to Get Well」は、傷ついた兵士が、病院の居心地がよく、看護婦に恋をしたので、治りたくないと願う、という内容であった。 1930年にシェンクが心臓病で病死した後も、ヴァンはひとりで舞台に立ち続け、映画やラジオにも出演した。1941年には、ニューヨークで制作されたサウンディーズ (Soundies) に数多く出演した。シェンクはブルックリン区のエヴァーグリーンズ墓地 (Cemetery of the Evergreens) に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ヴァン&シェンク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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