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ジョー・ピニャタノ : ミニ英和和英辞書
ジョー・ピニャタノ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョー・ピニャタノ : ウィキペディア日本語版
ジョー・ピニャタノ[ちょうおん]

ジョー・ピニャタノ〔日本語表記はイタリア語の日本語表記を参考とした。〕(Joe Pignatano 、本名:Joseph Benjamin Pignatano 、1929年8月4日 - )は、主に1950年代に活躍したアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン生まれの元プロ野球選手捕手)。右投右打。6年の現役生活の後、ニューヨーク・メッツのブルペンコーチを長く務めた。
== 来歴・人物 ==
1948年、高校在学中にブルックリン・ドジャーズと契約、メジャーリーグにデビューしたのは9年後の1957年、27歳になってからであった。ドジャーズでは控え捕手でシーズン50試合前後の出場だったが、1961年にカンザスシティ・アスレチックスに移籍し83試合に出場している。1959年のワールドシリーズでは守備固めで1イニングだけ出場、打席には立っていない。
ピニャタノは1962年9月30日の対シカゴ・カブス戦で、『現役最後の打席をトリプルプレーで終えた選手』としても知られている。
1962年で現役選手を引退し、1965年以降ブルペンコーチなどを長く務めた。特にニューヨーク・メッツには1968年から14シーズン在籍し、1969年の「ミラクル・メッツ」の立役者の一人にもなったが、この頃からピニャタノはシェイ・スタジアムのブルペンの中に小さな菜園を作って、トマトを栽培し始めていたという。この菜園は後にグラウンドキーパーらの手でさらに規模が大きくされ、1990年代にはヒマワリやトウモロコシまで植えられた。〔後年ブレーブスやタイガース、レッドソックスなどがブルペンの中に菜園を作っていたことがあった。〕
また1974年に日米野球で来日し、その際行われた王貞治ハンク・アーロンのホームラン競争において、アーロンの投手役を務めたのがピニャタノである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・ピニャタノ」の詳細全文を読む




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