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ジョー・ファルクス : ミニ英和和英辞書
ジョー・ファルクス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョー・ファルクス : ウィキペディア日本語版
ジョー・ファルクス[ちょうおん]

ジョー・ファルクスJoe Fulks 本名:Joseph Franklin Fulks 1921年10月26日 - 1976年3月21日)は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。ケンタッキー州バーミンガム出身、マーレイ州立大学卒業。身長196cm、体重86kg、ポジションはフォワード。北米プロリーグNBAの前身であるBAA創立時(1946年)から第一線で活躍し続けた往年の名選手であり、プロキャリアの全てを過ごしたフィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステート・ウォリアーズ)を初代BAAチャンピオンシップに導いた。彼のプレースタイルが後世に与えた影響の大きさから"現代ゲームの父"、"バスケットボール界のベーブ・ルース"とも称される。現在のバスケットボールの主要得点手段であるジャンプシュートのパイオニアであり、"Jumping Joe"の愛称で知られた。
== 経歴 ==

=== 生い立ち・学生時代 ===
ジョセフ・フランクリン・ファルクスは1921年ケンタッキー州の小さな田舎町、バーミンガムの農家の子として生まれた。幼少期は狩猟と釣りの日々を過ごしたファルクスは8歳のときに観戦した地元バーミンガム高校のバスケットボールの試合にたちまち魅了されたが、家が裕福ではなかったためにすぐにバスケット用のボールを手に入れることが出来なかった。学校のコーチは屋外のバスケットコートのゴールネットが裂かれていることを不審に思い、ある日教室に隠れて見張っていたところ、リムに向かって空き缶やレンガを投げ付けているファルクス少年の姿を発見。コーチはすぐさま少年の才能を見抜き、彼に使い古されたバスケットボールを与えた。地元にはユースチームがなかったため、高校進学まではストリートボールに明け暮れる日々を送った。
マーシャル郡高校のバスケットコーチにとって身長6フィート(183cm)の1年生が見せる飛び跳ねながら打つシュートは邪魔でしかなく(当時はジャンプを伴わないセットシュートが基本だった)、そのためファルクスは試合中は自身を抑制しながらプレーすることを強制された。しかしダム建設のためにバーミンガムが湖の底に沈むことが決まり、一家がクッタワに引越したところ、クッタワ郡高校に転校したファルクスへの評価は一変。196cmまで身長が伸びたファルクスは"クワッタ・クリッパー"の異名を頂戴する強力なスコアラーとなり、最終学年にはチームを州チャンピオンシップに導き、自身も得点に関する様々な州の記録を打ち立てた。大学はマレー州立大学でプレーし、3年間、計47の試合で平均13.2得点、通算621得点を記録。NIAIバスケットボール殿堂、マレー州バスケットボール殿堂入りを果たしている。
1943年には海兵隊に入隊。グアム島、硫黄島などの南太平洋で勤務しながら、選手として海兵隊オールスターチームでプレイし、帰国後はツアーで全米を回った。この頃にはプロリーグ関係者の間で、シュートを打つときにわざわざジャンプし、ボールにスピンを掛ける選手の存在が噂されるようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・ファルクス」の詳細全文を読む




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