翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョー・フライ
・ ジョー・フラッコ
・ ジョー・フランシス
・ ジョー・フリン
・ ジョー・フレイジャー
・ ジョー・フレージャー
・ ジョー・ブライアント
・ ジョー・ブラックをよろしく
・ ジョー・ブラントン
・ ジョー・プラ
ジョー・プライス
・ ジョー・プランティ
・ ジョー・プレスティア
・ ジョー・プロフィット
・ ジョー・ヘニング
・ ジョー・ヘンダーソン
・ ジョー・ヘンダーソン (曖昧さ回避)
・ ジョー・ベイメル
・ ジョー・ベネット
・ ジョー・ベリー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョー・プライス : ミニ英和和英辞書
ジョー・プライス[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョー・プライス : ウィキペディア日本語版
ジョー・プライス[ちょうおん]
ジョー・D・プライス (Joe D. Price、1929年10月20日 - )は江戸時代の日本絵画を対象にするアメリカ合衆国の美術蒐集家。財団心遠館館長。京都嵯峨芸術大学芸術研究科客員教授
1953年にニューヨークの古美術店で伊藤若冲『葡萄図』に出会って以来、日本語を解さないながら自らの審美眼を頼りに蒐集を続け、世界でも有数の日本絵画コレクションを築いた。収集した作品は伊藤若冲を中心に当時日本であまり人気のない作者のものが多かったが、次第に日本で逆輸入的に評価されていった。葛蛇玉のように、ほとんど無名だった者もある。
ロサンゼルス郊外に鑑賞室などを併設した豪邸を構える。コレクションはロサンゼルス郡立美術館日本館にも寄託されている。自然光での鑑賞に拘ることで知られる。
== 経歴 ==

=== 少年時代 ===
ジョー・プライスは1929年10月20日アメリカ合衆国オクラホマ州の農牧村バートルズビル (:en:Bartlesville, Oklahoma) の溶接工ハロルド・チャールズ・プライスと妻メアリー・ルー・パターソン・プライスとの間に次男として生まれた。ただし、当時のトルズビルには満足な出産設備がなく、出生地は最寄りの都市タルサである。幼少時は父に厳格に育てられ、吃音を持っていたが、田舎のおおらかな気風のため、周囲との問題は生じなかったという。少年時には第二次世界大戦があり、日米も開戦したが、日本は何らかの感情を持つには遠すぎる国だったという。10代の時、母は乗用馬育成のため農場を購入し、高校時代はそこで野菜を栽培することを趣味とした。
戦後父が設立したH・C・プライス社がパイプラインの建造で急成長を遂げ、プライス家は莫大な資産を築いた。将来は兄ハロルド・プライス・ジュニアと共に会社を継ぐことが自然と決まっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・プライス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.