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ジョー・ペリー : ミニ英和和英辞書
ジョー・ペリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョー・ペリー : ウィキペディア日本語版
ジョー・ペリー[ちょうおん]

ジョー・ペリー(''Joe Perry''、1950年9月10日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。ロックバンドエアロスミス」のギタリスト。本名は、アンソニー・ジョゼフ・ペリー(''Anthoney Joseph Perry'')。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第48位、2011年の更新版では第84位。
== 来歴 ==
アメリカ・ボストン郊外出身。少年時代、最初に手にした楽器はウクレレだった。
1971年に、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。フロントマンのスティーヴン・タイラーと共にソングライティングを担当。このコンビは、「トキシック・ツインズ(The Toxic Twins)」と呼ばれる。地道な活動によりバンドは徐々に人気を獲得していき、1970年代半ばに大ブレイク、キッスレッド・ツェッペリンと肩を並べるほどにまで成長した。また、アルバム『ロックス』(1976年)以降、一部の楽曲でリード・ボーカルを取るようになった。エアロスミスの活動と並行して、個人としてはキッスのジーン・シモンズのソロ・アルバム『ジーン・シモンズ』(1978年)にゲスト参加した。
1980年スティーヴン・タイラーとの確執などを原因に、エアロスミスを脱退。「ジョー・ペリー・プロジェクト」を結成し、1983年までに3枚のアルバムを発表。だが、エアロスミスほどの成功は得られなかった。この間エアロスミスも、相次ぐメンバー脱退や交通事故によるスティーヴンの入院、アルバムの興行的不振など、暗礁に乗り上げていた。しかし時間の経過に伴い、スティーヴンとも和解。1984年に、同じく脱退したオリジナル・メンバーのブラッド・ウィットフォードと共に、エアロスミスに復帰。1989年アリス・クーパーのアルバム『トラッシュ』の収録曲「ハウス・オブ・ファイアー」にゲスト参加。1997年スティーヴ・ヴァイが発案したクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス』に、ギター・インストゥルメンタルによる「ブルー・クリスマス」を提供。
2004年にエアロスミスは無期限活動休止を宣言。この期間を利用してジョーは、かなり昔から温存していた数々の曲のレコーディングに取り掛かり、2005年5月、今度は「ジョー・ペリー」名義でのソロアルバムを発表した。また、同年8月にリリースされたレス・ポール&フレンズのアルバム『レス・ポール・トリビュート』にフィーチャリング・ゲストの一人として参加。
2007年、エアロスミスが活動再開、全米ツアーを敢行した。
2009年に、後のエアロスミスのアルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』の制作が中断された時に、2作目のソロ・アルバム『ハヴ・ギター・ウィル・トラベル』をリリースし、翌2010年まで「ジョー・ペリー・プロジェクト」名義でツアーを行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・ペリー」の詳細全文を読む




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