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ジョー・リン・ターナー : ミニ英和和英辞書
ジョー・リン・ターナー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョー・リン・ターナー : ウィキペディア日本語版
ジョー・リン・ターナー[ちょうおん]

ジョー・リン・ターナー(Joe Lynn Turner1951年8月2日 - )はアメリカ人の歌手、アメリカ合衆国ニュージャージー州ハッケンサック出身。本名・ジョゼフ・アーサー・マーク・リンキート(Joseph Arthur Mark Linquito)。ハード・ロック・バンドであるレインボー在籍時の作品で知られる。ターナーは、かつてジャズ・ロック・バンドであるファンダンゴのフロントマンを務め、またイングヴェイ・マルムスティーンが率いるライジング・フォース及びディープ・パープルと、ごく短期間だが共同作業を行っている。1990年代半ばから、ターナーは自分のソロ活動を追究する一方で、同時に様々な音楽グループにも加わり、作品を残してきた(プログレッシヴ・ロック・バンドのマザーズ・アーミー、ファンク・ロックのデュオであるヒューズ・ターナー・プロジェクト、アダルト・オリエンティド・ロックのサンストームなど)。ターナーは2014年9月現在、マザーズ・アーミーから発展したレイテッド・エックスのヴォーカリストである。彼らのアルバムは2014年11月に発売される予定である。
== 経歴 ==
ジョー・リン・ターナーことジョセフ・アーサー・マーク・リンキートは、イタリア系アメリカ人の家に生まれる。高校生の時、ターナーはエズラというバンドを組み、自分達のオリジナル曲やカヴァー曲を演奏していた。子供の時はアコーディオンを弾いていたが、その後典型的なリズム&ブルースに興味を持つようになる。そして、10代前半でギターを弾きこなすようになった。ターナーに影響を与えたのは、レッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスフリーといったアーティスト達だった。1976年、ターナーはファンダンゴに参加し、初めてバンドの持つ全国的な影響力というものを経験する。このバンドは、リズム&ブルース、ポップス、カントリー、ジャズ、そしてメロディアスなロックをミックスしたバンドだと形容されていた。ターナーはファンダンゴの4枚のアルバム全てで歌とギターを担当している。ファンダンゴは非常に多くのバンドと一緒にツアーをしたが、そうしたバンドの中にはオールマン・ブラザーズ・バンド、マーシャル・タッカー・バンド、ビーチ・ボーイズなどがいた。ビリー・ジョエルとも一緒にツアーで回っている。
ファンダンゴが解散した後、ターナーにイギリス人ギタリスト、リッチー・ブラックモアから電話がかかってきた。これはオーディションへの誘いの連絡で、結果としてターナーはすぐにレインボウのメンバーに加入することになった。レインボウは、ターナーが加入する以前はヨーロッパと日本では人気があったものの、アメリカでは同様に人気を獲得しているとは言えない状態だった。ターナーの加入によってよりポップス志向が強まり、その結果アメリカで一気に成功を勝ち取ることになった。ターナーが参加したアルバムの中からの何曲かは、80年代初期から中期にかけて、ロック専用のラジオ局のチャートでトップ20に入っている。「ストーン・コールド」は、トップ40入りしたレインボウの最初の曲で、この曲のヴィデオはMTVでヘヴィー・ローテーションとして放送された。ターナーは、レインボウ名義でのスタジオ録音のアルバム3枚に参加している。「アイ・サレンダー」、「闇からの一撃」、「ストリート・オヴ・ドリームズ」である。アルバム「ストリート・オヴ・ドリームズ」からは同名のシングルが発売された。レインボウは1984年に解散する。
1985年、レインボウの解散後、ターナーはソロ・アルバムを発売する。「レスキュー・ユー」は、クイーンやザ・カーズとの仕事で知られていたロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースで制作された。ターナーはほとんどの曲をフォリナーのキーボーディスト、アル・グリーンウッドと共作している。一枚目のシングル曲「エンドレスリー」はラジオとMTVで繰り返し放送された。その後ナイト・レンジャーパット・ベネターとのツアーを行い、またテレビ映画「ブルー・デ・ヴィユ」に出演したりしている。
1987年には、ターナーはマイケル・ボルトンのアルバム「いざないの夜(The Hunger)」でバックコーラスに参加している。ターナーの声が聞ける曲は、「ホット・ラヴ」と「ジーナ」の2曲である。
1988年には、イングヴェイ・マルムスティーンのライジング・フォースに参加し、アルバム「オデッセイ」を録音している。このアルバムの発売後、短期間のツアーに出ているが、その際にレニングラードでコンサートを行い、これが録音されて「トライアル・バイ・ファイア」(1989)として発売された。しかし1989年中に彼はライジング・フォースを離れ、ディープ・パープルに参加する。アルバムは1枚だけ、「スレイヴズ&マスターズ」(1990)を録音している。このアルバムはビルボードで第87位まで上がり、発売後1991年に行われたツアーは比較的成功したものになった。しかしターナーはディープ・パープルも1992年後半に脱退してしまう。その後、プログレッシヴ・ロック・バンドであるマザーズ・アーミー(ジェフ・ワトソンボブ・デイズリーカーマイン・アピス)と3枚のアルバムを制作している。
ターナーは、主に1990年代半ばからソロ活動を行い、多くの成果を挙げている。ブルガリア人のギタリストであるニコロ・コッツェフ率いるフィンランドのロックバンド、ブレイズン・アボットとの共演、ヒューズ・ターナー・プロジェクト名義でのグレン・ヒューズとの共演などである。ターナーは、ニコロ・コッツェフのロック・オペラ、「ニコロ・コッツェフのノストラダムス」にも参加している。2005年にはターナーはロシアのスタジオ・プロジェクト、マイケル・メン・プロジェクトのアルバム「メイド・イン・モスコウ」にも、グレン・ヒューズとともに参加している。2006年には非常に音楽的に成功したスタジオ・プロジェクト「サンストーム」に参加し、ドイツのロックバンド「ピンク・クリーム69」のベーシスト、デニス・ウォードと共演している。ターナーは「ヴォイスイズ・オヴ・クラシック・ロック」のゲストを務めている。ターナーは、オーストラリアのバンドAC/DCのヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンと共に、クラシック・ロック・ケアズ・チャリティ・ツアー(長きにわたる友人である、ジョン・エントウィッスル・バンドのドラマーでプロデューサーでもあったスティーヴ・ルオンゴの呼びかけで行われた)で主演を務めている。
2006年8月4日には、日本の東京芸術劇場新日本フィルハーモニー交響楽団と共にレインボウの楽曲を歌うという特別公演を行っている。
2008年、ターナーは「オーヴァー・ザ・レインボウ」を結成した。このバンドは元レインボウのメンバーであるキーボーディスト、ポール・モリスと、ブラックモアの息子ユルゲンがギターを担当するトリビュート・バンドである。
ターナーはツアー・バンドである「ビッグ・ノイズ」のメンバーの一人だった。このバンドは、ギタリストのカルロス・カヴァーゾ、ベーシストのフィル・スーザン、そしてドラマーのヴィニー・アピスというメンバーで構成されていた。
ターナーはノルウェイのグループ「ヤン・ホルバーグ・プロジェクト」に加入している。このバンドは2011年にスタジオ・アルバムである「センス・オヴ・タイム」を発売している。
2012年夏、スウェーデンで行われたゴールデン・タイムズ・フェスティヴァルで、ターナーとレジェンズ・ヴォイス・オヴ・ロックが共演している。
2013年、ドイツのヘヴィ・メタル・バンド、「アヴァンタシア」のアルバム「ミステリー・オヴ・タイム」の数曲にゲスト参加している。このアルバムは同年3月に発売された。
2013年の3月と4月には、ラスベガスのLVHホテルとカジノで行われたショー、「レイディング・ザ・ロック・ヴォルト」に特別ゲストとして出演している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョー・リン・ターナー」の詳細全文を読む




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