|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ジルジャンは、400年の歴史をもつシンバルのブランドである。トルコのイスタンブルにいたアルメニア人シンバル職人が元であるが、今日は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州に本拠を有するアヴェディス・ジルジャン社 (Avedis Zildjian Company) によって製造されている。同社は現在も世界最大規模のシンバルとドラムスティックのメーカーである。日本国内ではヤマハのグループ会社であるヤマハ・ミュージック・トレーディングが輸入販売を行っている。 == 歴史 == ジルジャンのシンバルは、17世紀の初頭にオスマン帝国の首都イスタンブルにいたアヴェディスという名のアルメニア人金工に始まる。彼は1618年に合金の技術を使って錫、銅、銀などを材料に、それまでのシンバルよりもはるかに優れた音を出すシンバルの製造法を発明した。1623年、アヴェディスはシンバル製造の工房を興し、その製造法は秘伝となって彼の子孫に代々受け継がれた。そして、アヴェディスとその子孫は、トルコ語で「シンバル職人」を意味するズィルジ (zildji / 現代トルコ語 : zilci) にアルメニア語で「息子」を意味し、姓を形成する語尾となるイアン (-ian) を付した「ズィルジアン」(ジルジャン)という姓で呼ばれるようになった。 ジルジャンのシンバルは17世紀のうちにはヨーロッパでも高い評価を受けた。ベルリオーズやワーグナーなど、わざわざ「ジルジャンのシンバルを使用のこと」という但し書きを楽譜に書き込んだ作曲家もいた。 1920年代になって、ジルジャン一族の継承者でアメリカに移民していたアヴェディス3世が家伝のシンバル製造法を伝授されてアメリカでシンバル製造を始め、アヴェディス・ジルジャン社を興した。このとき、アヴェディスの叔父の系統はイスタンブルに残って工房を続け、K・ジルジャン・コンスタンチノープルと呼ばれるブランドのシンバルを製造していたので、ここでジルジャンの名を冠するブランドはふたつに分かれた。 アヴェディス・ジルジャン社はアメリカで様々な規格のシンバルを開発して今日のドラムセットで使われるシンバルの基をつくり、同社のシンバルはジャズやロックといったアメリカ発の音楽で使われるようになって世界に広がった。1968年にはアヴェディス3世の次男ロバートを責任者にして、カナダのニューブランズウィック州に新工場 (Azco) をつくった。 一方のトルコのK・ジルジャンは、トルコ共和国の成立で、これまでイスタンブルの別名として対外的に通用していたコンスタンチノープルの名が使えなくなったため、ブランド名がK・ジルジャン・コンスタンチノープルからK・ジルジャン・イスタンブールにかわり、ジルジャンの姓もトルコ語風に Zilcijan と綴られるようになった。K・ジルジャン社は1970年代にアヴェディス・ジルジャン社に買収され、その後、トルコのK・ジルジャン工場は閉鎖されてカナダ工場に統合された。こうして1978年、K・ジルジャン商標のトルコ製シンバルによる使用は商標権者のアヴェディス・ジルジャン社によって禁止され、K・ジルジャンの製造はカナダ工場で行われるようになった。なお、K・ジルジャンの職人のうちトルコに残った者はイスタンブール・シンバル社を興し、その流れを汲むシンバル工場は現在は数社に分かれている。 1979年にアヴェディス3世が没した後、相続者の長男のアーマンドと次男のロバートの間で会社が分割され、1981年にロバートのカナダ工場が独立してセイビアン社となった。これ以降、K・ジルジャン商標の製造もアメリカの工場に移っている。2002年にはアーマンドが没し、現在同社はアーマンドの2人の娘、クレーギーとデビーが経営している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジルジャン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|