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ジャン・ジロドゥ(Jean Giraudoux、1882年10月29日 - 1944年1月31日)は、フランスの外交官・劇作家・小説家。オート=ヴィエンヌ県の小都邑ベラック生まれ。ナチス占領末期のパリで死去。 ==経歴== 1882年、土木監督の父レジェ(Léger)と母アンヌ・ラコスト(Anne Lacoste)との間に生まれ、父の転勤にしたがう。 1887年、アンドル県ペルヴォアザン(Pellevoisin)の小学校へ入る。 1893年、アンドル県シャトールーのリセ(現在のリセ・ジャン・ジロドゥ・シャトールー(Lycée Jean Giraudoux Châteauroux ))に進む。戯曲作りをこころみる。 1898年、シャルル=ルイ・フィリップ(Charles-Louis Philippe)とエドモン・ロスタンとから、励ましの返書をもらう。 1900年、パリのリセ・ラカナル(Lycée Lakanal)に、給費生として移る。1901年、リセを卒業して兵役につき、1903年除隊後、パリの高等師範学校に進む。ドイツ語の優等賞を受け、1905年首席で卒業、給費生としてミュンヘンに留学し、ついで東欧・南欧に遊ぶ。 1906年、ハーヴァード大学のフランス語教師として渡米し、1907年帰国し、紙の文芸担当記者に就職する。小説を書き進める。 1909年、小説集『田舎の人々』を出版。売れ行きはよくなかったが、アンドレ・ジッドの目にとまる。 1910年、外務省政治経済局副領事見習生となり、かたわら小説を発表し、注目され始める。 1914年、第一次世界大戦に出征して負傷、入院する。1915年、ダーダネルスで諜報活動にしたがい、ふたたび負傷、パリに戻る。レジオン・ド=ヌール勲章五等を受ける。1916年、教導士官としてポルトガルへ、ついでアメリカへ派遣される。 1918年、大戦終結、結婚。 1919年、外務省に復帰する。長男誕生。1920年、フランス海外事業局(Service des Œuvres Françaises Etrangère)に入り、翌1921年、局長となる。1922年、小説『ジークフリートとリムーザン人』を出版し、バルザック賞を受ける。 1924年、駐独大使館秘書官としてベルリンに赴任。短期間で戻り新聞情報局長となる。1926年 - 1933年、連合国損害評価委員会(Commission d'évaluation des dommages)委員を勤める。 1927年、演出家・俳優のルイ・ジューヴェを知る。ジューヴェは当時、シャンゼリゼ劇場内のコメディ・デ・シャンゼリゼに一座を構えていた。ジロドゥは、ジューヴェに励まされながら、『ジークフリートとリムーザン人』をもとに台本を練り、1928年5月3日、初戯曲『ジークフリード』の初演に漕ぎつけた。成功であった。「この芝居はジューヴェと一座の人々とが作り上げた。台本は無署名がふさわしい」とジロドゥは記した。 以降ジロドゥは、次々と戯曲を書き、殆どをジューヴェ一座が上演し、さながら同座の座付作者であった。殆どが好評であった。台本にト書きが少ないのは、一座の意見を入れては訂正を重ねたためという。ギリシア神話や旧約聖書などを下敷きにした反リアリズムの、新鮮な作風であった。上演の記録は、次項の「戯曲」にある。 1934年、外交官・領事の監督官となる。1936年、世界一周旅行をする。 1939年、第二次世界大戦の勃発と共に、ダラディエ首相に乞われ情報局長となり、ラジオ放送でナチスと対抗するが、1940年3月、ドイツ軍侵入による内閣の退陣とともに、辞職する。6月のフランス降伏後、いちじ地方に疎開して、間もなくパリに戻る。 1940年 - 1944年の被占領中は、レジスタンスに協力し、ルイ・アラゴンらとも通じていた。 1941年、ゴーモン映画会社(Gaumont)の文芸部長となり、シナリオ2本を書く。 1942年、『マルザックのアポロ』(のち『ベラックのアポロ』と改題)の草稿を、大戦を避けて南米を巡業中のジューヴェに送り、リオ・デ・ジャネイロで初演される。1943年、『ソドムとゴモル』を、ジューヴェ不在のパリで、ドゥキング(Georges Douking )の演出により初演する。 1944年1月31日、尿毒症のため、パリ1区のホテルで急死。61歳。サン・ピエール・グロ・カイユー教会( St Pierre du Gros Caillou )に葬儀を営み、パッシー墓地に葬る。 1945年12月22日、遺作『シャイヨの狂女』を、帰国したルイ・ジューヴェが初演する。 1951年7月1日、故郷ベラックに「ジャン・ジロドウ記念碑」が建ち、ジユーヴェらが故人の作品の抜粋を演じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャン・ジロドゥ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jean Giraudoux 」があります。 スポンサード リンク
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