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ジロラモ・デ・アンゼリス(生年不詳 - 1623年)は、江戸時代初期のイエズス会宣教師である。 ==生涯== 慶長19年(1614年)、京都・大坂および加賀金沢藩のキリシタン70名余が津軽地方(青森県西部)に流され、この人びとが神父の来訪を求めたので、翌元和元年(1615年)、潜伏していたイエズス会のアンゼリスは仙台から後藤寿庵のいる水沢、秋田を経て羽州街道を北上し、津軽高岡(弘前)在住のキリシタンを訪ね励ましている〔大野(1973)pp.12-16〕。元和元年は東北地方に大飢饉が起こり、流人たちの生活は悲惨をきわめたといわれる〔武藤(1948)〕。 アンゼリスは『1615・16年の日本年報』において、このときの久保田藩の状態について、「仙北地方(秋田県内陸南部)に200人のキリシタンを発見したが、それらは7年前、伏見(京都)のキリシタンで、佐竹氏に仕えたペードロ人見という武士が洗礼をさずけたものであった」と記録している〔〔人見が仙北において感化したのは600人におよぶという記録もある。〕。ペードロ人見はアンゼリスによって洗礼を受けたカトリックの准教師であった〔。 また、「1617年には津軽に流された人々がその土地の人々を改宗させた」(『日本切支丹宗門史』)ことも伝えている〔。 津軽訪問後のアンゼリスは仙台を根拠地として活躍しており、元和5年(1619年)ころには奥羽布教の主任となって、元和6年(1620年)以降は尾花沢の延沢銀山や山形地方の布教もおこない〔〔銀山温泉年表 (銀山温泉)〕、さらに蝦夷島(北海道)まで出かけたが、記録によれば元和9年(1623年)、江戸において火刑に処せられている〔。同じころ、会津地方(福島県西部)にあってもイエズス会による宣教がなされていたと考えられている〔。 なお、同時代に東北で活動したルイス・ソテロやフランシスコ・ガルペスはフランシスコ会の宣教師であった〔〔東北地方における本格的なキリスト教布教は、禁教令発布後にあたり、キリシタン迫害が全国的にきびしくなった時期に開始されているため、西日本などにおける布教とは趣きをおおいに異としている。大野(1973)p.14〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジロラモ・デ・アンゼリス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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