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ジーノ・カリア : ミニ英和和英辞書
ジーノ・カリア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジーノ・カリア : ウィキペディア日本語版
ジーノ・カリア[ちょうおん]
ジーノ・カリアGino Caria、生年月日不詳 - 1997年)は、イタリアユーロビートミュージシャン作曲家音楽プロデューサー
== 経歴 ==
マーク・ファリーナデイブ・ロジャースらが台頭していたTIME RECORDS(以下、TIME)内でも、裏方として活躍し〔Time RecordsのTRDシリーズの最初の曲である、「FUNNY DANCER / THE ATRIUM」ではヴォーカルを担当した。〕、主にサンドロ・オリーヴァとタッグを組んで活動する。
やがて、DAVEが独自のレーベルであるA-BEAT Cの設立に旗揚げメンバーとして参加。初期には、ヒット作である「I WANNA BE YOUR SUPERMAN / GINO CARIA」を歌ったり、「BAD LOVE / ANNALISE」や「VICTIME OF LOVE / DAVID ESSEX」では制作も行い、レーベル内でもマルチに活動していた。同時期、フリーランサーのコラボレータとしてTIMEにも時折楽曲提供を行っていたが、A-BEAT C設立から3年ほどで、再びTIMEに正式に復帰。しかし、完全に離脱と言うわけではなく、ヴォーカルとしてアンドレア・レオナルディが制作した楽曲を中心に、自身のレーベルを設立する1995年まで関わり続けた。
TIME復帰後は、数多くの名義でのヴォーカルを担当し(下記LOU GRANT、FRANK TORPEDOなど)、作詞・作曲にも大きく貢献。ローラン・ジェルメッティが一時離脱した1994年ごろには、セルジオ・ダローラクララ・モローニなどと共に、積極的に楽曲制作に関わっていた。
1995年、念願だった自身のレーベルであるVIBRATIONを、中堅レコード会社・LED RECORDS代表者であったルイージ・スタンガの協力を得て設立。弟子であるアルベルト・フェラーリスダヴィデ・ディ・マルカントーニオ、そしてフェラーリスの友人で以前よりコンポーザーとしての名声を得ていたステファノ・カスターニャエヴェリーナ・ソメンツィ夫妻が参加。この頃の一部楽曲のプロデューサー欄には「GHINES」と表記されていた。曲の評価も良く、順風満帆かと思われたが、ジーノはこのときより肺癌の病状が悪化しており、病魔と闘いながらも楽曲制作を続けた。しかし、1997年の春に病状が悪化し、30代という若さで死去した。彼の死去に伴い、レーベルのまとめ役を失った影響は大きく、主力コンポーザーが次々と脱退して、多くの人材喪失を招き、結果的にVIBRATIONは長い低迷期に入ることになった。
既に死後10年が経とうとしている現在でも、彼の力強いヴォーカルには数多くのファンが魅了されている。ただそれだけではなく、作曲家としての彼も非常に高い評価を得ている。「LET'S DO IT AGAIN / MORENO」や「I WANNA BE YOUR SUPER MAN / GINO CARIA」などに見られる独特の作風も好評であった。
また、TIME時代にリリースした「MAHARAJA NIGHT / LOU GRANT」「PARA PARA PARA NIGHT / FRANK TORPEDO」が、当時のヴォーカルのままそれぞれリメイクされている。彼がTIME、VIBRATIONでヴォーカルを務めた名義の多くはDavide Di Marcantonioが後任を担当したものもある。他にも、Claudio Magnaniや、Nicola Mansueto、Gianni Coraini、Mike Danger名義担当の人が後任を担当しているものもある。A-BEAT Cでは、Gino Cariaの使っていた名義は「EDO」を除いて、Tomas Marinが後任を担当している。(「TNT / DERRECK SIMONS」のみMaurizio De Jorioが担当した。)
最近では息子のGiacomoが、A-BEAT Cにてデビューした。父譲りのヴォーカルワークに、多くのリスナーが驚かされた。しかし、ヴォーカルを担当したのは現時点で2曲のみである。〔A-Beat Cに一時期所属していた人気アーティストの「NEO」と同じ人物なのではないかと言う説が流れていたが、詳細は未だに不明である。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジーノ・カリア」の詳細全文を読む




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