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ジーモン・ゼヒター : ミニ英和和英辞書
ジーモン・ゼヒター[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジーモン・ゼヒター : ウィキペディア日本語版
ジーモン・ゼヒター[ちょうおん]

ジーモン・ゼヒターSimon Sechter, 1788年10月11日 - 1867年9月10日)は、オーストリア音楽理論家教師オルガニスト指揮者作曲家
== 人物・経歴 ==
ボヘミアフリートベルク(現チェコフリムブルク Frymburk)生まれ。1804年ウィーンに移住し、アントニオ・サリエリに学び、1810年から盲学校でピアノ声楽を教え始めた。
1824年ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの後任として宮廷オルガニストとなり、1851年からはウィーン音楽院作曲教授を務めた。度を過ぎた気前の良い性格が災いして晩年を貧困のうちに過ごし、ウィーンで死去した。
1853年から1854年にかけて、ジャン・フィリップ・ラモーの理論を基礎として3巻からなる作曲理論書『楽曲構成の基礎 ''Die Grundsätze der musikalischen Komposition''』を著し、後世の理論家に影響を与えた。またゼヒターは、平均律よりも純正律の擁護者でもあった。この姿勢はグスタフ・マーラーにも受け継がれた。
理論の大家として、多くの人材を指導した。ゼヒターの教育法は厳格で、例えば、1855年から1861年にかけて彼に和声対位法を師事したアントン・ブルックナーに対して、彼の下で学んでいる間はいかなる自由創作も許可しなかったという。同時代の音楽家は、チェルニーのフーガのできばえに対しても、「ゼヒターより下」という評価を下したといわれている。
ゼヒターはまた、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの未完成のフーガの補筆も行った。フーガ変ホ長調(K.153 )とト短調(K.154 )がそれである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジーモン・ゼヒター」の詳細全文を読む




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