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スィノプ沖海戦 : ミニ英和和英辞書
スィノプ沖海戦[すぃのぷおきかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おき]
 【名詞】 1. open sea 
海戦 : [かいせん]
 【名詞】 1. naval battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

スィノプ沖海戦 : ウィキペディア日本語版
スィノプ沖海戦[すぃのぷおきかいせん]

スィノプ沖海戦(スィノプおきかいせん)は、第一次世界大戦中の1914年12月22日〔に〔 では1914年12月20日としているが、ほかの資料では12月22日あるいはグレゴリオ暦で1月4日と記載されており、またオスマン帝国側の出撃情報と照らして20日では辻褄が合わなくなるため、ここでは24日説を採る。〕スィノプ沖の黒海上でロシア帝国海軍黒海艦隊オスマン帝国海軍とのあいだに発生した海戦である。巡洋艦 1 隻ならびに艦隊水雷艇 4 隻からなる優勢なロシア帝国斥候艦隊がオスマン帝国の巡洋艦 1 隻を追撃したが、オスマン帝国艦は反撃を加えつつ逃走に成功した。
== 概要 ==

=== 前景 ===
1914年末〔1915年初頭。〕、オスマン帝国海軍第 2 戦隊所属の 3 隻の巡洋艦、すなわち軽巡洋艦ミディッリ」、防護巡洋艦ハミディイェ」、水雷巡洋艦「」は、トラブゾンまでオスマン帝国軍部隊と武器を輸送すべしという任務を授かった。この任務を遂行するためには、 3 隻はロシア艦隊が睨みを利かせる黒海東部を通過しなければならなかった。
ところが、「ベルキ・サトヴェト」は12月20日〔1915年1月2日。〕、ボスポラス海峡口においてロシア帝国海軍が半月ほど前に敷設していた機雷原に掛かって触雷破損した。その修理のため、「ベルキ・サトヴェト」は戦争終結まで活動できない状況になった。それでも作戦は中止されず、「ミディッリ」と「ハミディイェ」はそれぞれ独立して作戦を遂行するよう指令を受けた〔。
一方、ロシア帝国黒海艦隊は傍受した敵方の無線通信を誤読し〔、 7 隻の輸送船からなる軍部隊輸送船団すべてがイスタンブルから黒海へ向けて出港すると断定した〔。この船団を迎撃するため、黒海艦隊は12月21日〔1915年1月3日。〕、艦隊主力部隊、すなわち戦列艦 5 隻、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」ならびに「カグール」、「アルマース」、艦隊水雷艇 10 隻をセヴァストーポリから出撃させた。
ロシア艦隊は、ケレンペ岬トラブゾンにかけてのオスマン帝国沿岸部で輸送船団を襲撃する作戦であった〔。しかし、この海域では敵船を見つけることができず、翌22日〔にはセヴァストーポリへ向かう帰路に就いた〔。艦隊はアナトリア沿岸域を遊弋し、艦隊からは敵船団を求めて偵察分遣隊が分派された。水雷分艦隊長ならびに巡洋艦戦隊長である 海軍少将の提督旗を掲げた旗艦の巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」〔 では、誤って「カグール」としている。〕(艦長 1 等佐官)と、第 1 艦隊水雷艇隊〔所属の 4 隻の艦隊水雷艇、すなわち水雷戦隊長 M・P・サーブリン 1 等佐官の長官旗を掲げた旗艦「グネーヴヌイ」(艦長 V・N・チェルカーソフ 2 等佐官)、「ヂェールスキイ」(艦長 E・S・モラース 2 等佐官〔)、「ベスポコーイヌイ」(艦長 A・V・ザルードヌイ 1 等佐官〔)、「プロンジーチェリヌイ」(艦長 V・N・ボルスーク 2 等佐官〔)からなる斥候艦隊である。しかし、この艦隊が見つけたのは敵の大船団ではなく、巡洋艦「ハミディイェ」だったのである〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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