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水軍
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スイグンは、日本のアングロアラブ競走馬である。 福山競馬場を本拠地としてアングロアラブ系の全国交流戦を相次いで優勝するなどして活躍し、2004年度および2005年度のNARグランプリアラブ最優秀馬に選出された。 アングロアラブ系の競走馬の生産、アラブ系競馬が全国的に縮小している中にあって、「日本アラブ競馬史の最後の怪物」などとも言われている。 == 概要 == 2002年6月にデビュー(4着)。2歳時は堅実な走りはするものの決して目立つような馬ではなく、3歳春も福山ダービー優勝馬ユノエージェントに一歩置かれる存在だった。初遠征となる園田競馬場での楠賞全日本アラブ優駿から改題された楠賞兵庫アラブ優駿では『福山代表として恥ずかしいレースをしない様に』との思いから相当に調教を積んだとの事であったが、サンクリントと接戦を演じたものの道中他の馬を落馬させる妨害で2位失格となってしまう。だがここから快進撃がスタートする。福山に戻ってから連勝を重ね、3歳重賞の鞆の浦賞でユノエージェントに雪辱を果たし、全日本アラブグランプリでは2着に6馬身差をつける快勝で3歳ナンバーワンを確立した。 4歳初戦は生涯勝つ事のできなかった福山大賞典でこのレースを3勝するユキノホマレに敗れるが、その後着実に勝利を重ね、国内アラブ最大級の重賞タマツバキ記念アラブ大賞典で各地の強豪を抑え、アラブナンバーワンの座を奪取する。また数少なくなった交流戦も果敢に参戦し、佐賀競馬場の西日本アラブ大賞典、金沢競馬場のセイユウ記念アラブグランプリも勝利し、当時のアラブ最強の座を確実のものとした。 5歳初戦は福山大賞典で1歳年下のメイユウオライオンに抑えられる歯痒いスタートとなったが、ローゼンホーマ記念・福山桜花賞などの重賞を連勝し、続くタマツバキ記念アラブ大賞典を完勝といえる内容で二連覇を果たす。「もはやアラブに敵なし」の状況で高斤量との戦いを強いられるところであったが、サラブレッド導入を検討していた福山競馬の実験的レースとして企画された”高知競馬のサラブレッドとの交流戦”が定量で出走可能との話から、アラブ大賞典の翌月に福山にて行われた高知競馬サラブレッド招待交流レースに出走した。高知勢は高齢のナイキアフリート、中堅クラスのフォーバイフォーなどお世辞にもレベルが高いとは言えない相手だったが、結局はスイグンの強さを見せつける結果に終わった。この後、中央競馬への挑戦も話題にはなったがスイグンは秋に備えて休養に入り、実現することはなかった。 順風満帆に見えたスイグンだったが、この休養中に尻尾が腐る病気にかかるトラブルが発生する。尻尾を短くして4ヶ月振りになんとか復帰はできたが、さらに過酷な斤量が苦しめる形となり、復帰初戦は惨敗ともいえる7着に沈む。しかしほぼ同じ条件の次走で2着に入り、完全復活も近いと誰しもが思った。年が明けて2006年、初春恒例の重賞レース福山大賞典でスイグンは1番人気に支持された。2年連続惜敗の雪辱、斤量苦からも開放され格好の復活舞台だったが結果は見せ場なく、ユキノホマレに1秒以上離される5着に終わった。このレースを最後に同年1月26日に引退を発表。 これだけの実績を残してきた馬ならば、種牡馬入りしても何ら不思議はないものといえるが、不運にも現在は日本におけるアラブ系種の馬の生産が壊滅的なまでに激減している状況である為、種牡馬になることなく、栃木県那須塩原市にある地方競馬の騎手の養成機関である地方競馬教養センターで訓練馬として繋養される事となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スイグン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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