翻訳と辞書
Words near each other
・ スウェアリンジェン
・ スウェアー・イット・アゲイン
・ スウェイ
・ スウェイ (曲)
・ スウェイスリング
・ スウェイスリング男爵
・ スウェイスリング男爵1代目サミュエル・モンタギュー
・ スウェイダー県
・ スウェイン
・ スウェイン (曖昧さ回避)
スウェイン1世
・ スウェインズ島
・ スウェイン郡 (ノースカロライナ州)
・ スウェット
・ スウェットシャツ
・ スウェットショップ
・ スウェットスーツ
・ スウェットパンツ
・ スウェット・ロッジ
・ スウェット族


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

スウェイン1世 ( リダイレクト:スヴェン1世 (デンマーク王) ) : ウィキペディア日本語版
スヴェン1世 (デンマーク王)[すう゛ぇん1せい]

スヴェン1世ハラルドソンデンマーク語:Svend "Tveskæg"ノルウェー語:Svein "Tjugeskjegg"英語:Sweyn "Forkbeard"960年 - 1014年2月3日)は、“双叉髭王”(そうさひげおう)、“八字髭”(はちのじひげ)のあだ名をもつデーン人の王。デンマーク国王(在位985年 - 1014年)、ノルウェー国王(在位985年 - 995年1000年 - 1014年)、イングランド国王(在位1013年 - 1014年)を兼ねた。
ヘイムスクリングラ』によると、妻は、1人目はヴェンドの王ブリスラヴの娘、グンヒルド(en)。彼女の死後、スウェーデンオーロフの母で、の娘のシグリーズ(Sigrid Storråda)を2人目の妻に迎えた〔『ヘイムスクリングラ(二)』64-65頁(「第三十四章 ハラルド・ゴルムスソンの死」)。〕。
なお、『』によればグンヒルドとの間に生まれたのが後のクヌーズ2世(クヌート1世)である。また『ヘイムスクリングラ』によれば、娘のギュザ〔『ヘイムスクリングラ(二)』で確認できる表記。〕ギューザ(とも。no)はノルウェーのエイリーク・ハーコナルソンの妻になった〔『ヘイムスクリングラ(二)』142頁(「第九十章 エイリークの東方への遠征」)。〕。また、妹の〔(タイア、チューリとも)はブリスラヴ王の妻となった後、異教徒であった王を嫌って逃れ、オーラヴ・トリグヴァソンの3番目の妻になった〔『ヘイムスクリングラ(二)』143-145頁(「第九十二章 ブーリズラヴ王の結婚」)〕。ほかに娘にエストリズがおり、デーンの伯ウルフと結婚し、息子はのちにスヴェン2世としてデンマーク王となりエストリズセン家を開いた。
スヴェン1世は父ハーラル1世“青歯王”の後を継ぎ、デンマークおよびノルウェーの王となった。しかしすぐにスウェーデンの“勝利王”に敗れ、デンマークから追放された。エリク6世の死後スヴェン1世はデンマークへ戻った。
デンマークは980年代からイングランドを襲い、退去料としてを徴収した。さらに994年にはノルウェーのオーラヴ・トリグヴァソンと共にロンドンケントを襲撃した。しかし999年または1000年、スヴェンはスウェーデンのオーロフ、ノルウェーやヴェンドの軍と共に、においてオーラヴ王を倒している。1002年に、エゼルレッド2世“無思慮王”がイングランド在住のデーン人を虐殺したため、翌年スヴェンは北欧各国より兵を集めてイングランドを攻撃し始める〔『北欧史』30頁。〕。1013年にはエゼルレッド無思慮王を破ってイングランド王位についた〔『北欧史』46頁。〕。
1014年、スヴェン1世は急死。デンマーク王位は息子ハーラル2世が、ノルウェー王位はオーラヴ2世“聖王”が継いだ。イングランドはエゼルレッド2世が復位したが、クヌート1世がそれを破って王位を継いだ。クヌート1世はのちにデンマーク王位とノルウェー王位も手に入れ、巨大な北海帝国を築き上げることになる。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スヴェン1世 (デンマーク王)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sweyn Forkbeard 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.