|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スカイ・ハイ・リー(Ski Hi Lee、本名:Robert E. Leedy 、1921年2月9日 - 没年月日不明)は、カナダのプロレスラー。オンタリオ州トロント出身。生年は1920年〔『THE WRESTLER BEST 1000』P293(1996年、日本スポーツ出版社)〕または1924年ともされる〔。 人間離れした異相と巨体を持つ怪奇派のモンスター・ヒールとして、1950年代を全盛期に活動した。ウイスキーのグラスを噛み砕き、畳針を体に突き刺すなどの奇行パフォーマンスでも知られる〔『プロレスアルバム51 これぞプロレス ワンダーランド!!』P28(1984年、恒文社)〕。 == 来歴 == 1940年代中盤にプロレスラーとしてデビュー。1951年2月26日、アルバータ州エドモントンにてアル・ミルズを破り、カルガリー版のNWAカナディアン・ヘビー級王座を獲得。翌1952年1月10日にはアメリカ合衆国のオハイオ州トレドにて、ルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦している。 以降も1950年代はカナダを主戦場に活動を続け、フリッツ・フォン・エリック、ホイッパー・ビリー・ワトソン、キラー・コワルスキー、ベアキャット・ライト、ジョージ・ゴーディエンコ、パット・オコーナー、バーン・ガニア、ベン&マイク・シャープなどの強豪と対戦した。 1958年7月、ハワイのホノルルで力道山と対戦し、9月には日本プロレスに初来日。ドン・レオ・ジョナサンと大型タッグチームを結成し、蔵前国技館での力道山とのシングルマッチも行われた〔。来日時は『三菱ダイヤモンド・アワー プロレスリング中継』の放送開始時期であり、番組のプロモーションとして、ジョナサンと共にオープンカーでのパレードにも参加している〔『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P164(1986年、ベースボール・マガジン社)〕。 1960年代よりヨーロッパに渡り、1961年から1962年にかけてはドイツにて若手時代のビル・ロビンソンやホースト・ホフマン、1965年にはイギリスでアル・ヘイズと対戦した。 1968年6月、当時ヨーロッパを外国人選手の招聘ルートとしていた国際プロレスに参戦、10年ぶりの再来日を果たす。とうに全盛期を過ぎ、体も痩せ細っていたものの〔『世界名レスラー100人伝説!!』P22-23(2003年、日本スポーツ出版社、監修:竹内宏介)〕、ジ・アウトローことゴードン・ネルソンと組んで豊登&サンダー杉山のTWWA世界タッグ王座に挑戦した〔。 物故者であるが没年は不明。全盛時の1950年代はトロントで観光用の牧場やレストランを経営していたが〔、試合前にも控室でウイスキーをガブ飲みするなどの酒びたりの生活だったため〔、後年はアルコール依存症が悪化し、引退後は酒場の用心棒をしていたともされる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スカイ・ハイ・リー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|