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スカベンジャー作戦(スカベンジャーさくせん, )は、太平洋戦争中の1944年8月初旬にアメリカ海軍機動部隊が行った、小笠原諸島に対する攻撃作戦である。第4804船団(だい4804せんだん)の壊滅など、日本軍の艦船や航空機に相当の損害を与えた。 == 背景 == 1944年(昭和19年)8月初旬、アメリカ軍は、サイパン島攻略およびテニアン島攻略を完了、グアムの戦いも終盤に入り、マリアナ諸島の制圧を終わりつつあった。次の攻略目標をどこにするかは戦略の見直し中のため未確定な状況にあったが、高速空母機動部隊である第58任務部隊は、7月下旬にパラオ方面の空襲と写真偵察を目的とした「スナップショット作戦」()を実行するなど活動を続けていた。そして、スナップショット作戦に続く任務として立案されたのが、小笠原諸島の航空戦力や所在艦船、地上施設に対する航空攻撃で、「スカベンジャー作戦」(意味はスカベンジャー参照)と命名された。第58任務部隊のうち第58.1任務群(司令官:ジョゼフ・J・クラーク少将)と第58.3任務群(司令官:アルフレッド・モントゴメリー少将)の正規空母4隻と軽空母2隻および軽巡洋艦以下32隻が、スカベンジャー作戦へ投入されることになった〔Carter (1953) , pp. 167-168.〕。 日本軍は、マリアナ諸島に続けて硫黄島へもアメリカ軍が侵攻することを危惧し、伊号輸送の名の下に硫黄島を中心とした小笠原諸島の防備強化を急いでいた。7月29日にも、駆逐艦「松」を旗艦とする第2護衛船団司令部(司令官:高橋一松少将)以下の横須賀鎮守府乙直接護衛部隊に守られた第3729船団が、硫黄島へ向け出航していた。同船団を重視した軍令部は、マリアナ沖海戦後に応急出動用として待機していた軽空母「瑞鳳」まで護衛に投入した〔防衛庁防衛研修所戦史室 『大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1971年、67、378-379頁。〕。日本の文献では、この「瑞鳳」出動が空母撃沈を狙ったアメリカ機動部隊の襲来を誘発してしまったと述べるものもある〔岩重(2011年)、77頁。〕。船団の経由地父島到着までの間接護衛を命じられた「瑞鳳」は〔、931空の九七艦攻12機を載せ、駆逐艦4隻を随伴して出撃した。ほかにも父島や硫黄島には輸送艦船が在泊中であった。 小笠原方面の日本側防空戦力は、6月15日以来の度重なる空襲や輸送途中の被害から不十分な状態であった。海軍航空隊は新編の第三航空艦隊(司令長官:吉良俊一中将)が主力だったが、8月4日時点での可動機数は、硫黄島に第二五二海軍航空隊(252空)所属の零戦16機を中心に、一式陸攻4機と天山艦攻・月光夜戦各2機がある程度だった〔防衛庁防衛研修所(1975年)、254-255頁。〕。ほかに、父島には父島海軍航空隊(父島空)の水上戦闘機5機・水上偵察機4機が展開していた〔『父島方面特別根拠地隊戦闘詳報』、画像36枚目。〕。対空砲も、父島方面特別根拠地隊に海軍防空隊4隊を編入するなど最優先で増強が図られていたが、第142防空隊と第151防空隊は人員のみで装備未到着だった〔『父島方面特別根拠地隊戦闘詳報』、画像3枚目。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スカベンジャー作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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