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スクモ塚古墳(すくもづかこふん)は、1939年(昭和14年)に発見された島根県益田市久城町にある古墳。須久茂塚古墳とも。 造り出し付きの直径57メートルの円墳か、円墳と方墳の接合墳であるとされるが、全長100メートル、高さ7メートルにおよぶ前方後円墳とする説もある〔松尾寿ほか 『島根県の歴史』 山川出版社、2005年、60頁。〕。いずれにしても、その墳形では石見地方最大、島根県下でも最大級の古墳である〔。 == 概要 == 1941年(昭和16年)上田三平が発掘調査し、島根県下でも希な大円墳として同年12月13日に国の史跡に指定された。その後、1962年(昭和37年)県教委によって測量調査され、前方後円墳と考えられるようになった。 全長100メートル、後円部は直径54 - 57メートル、高さ7メートルであり、北側にくびれ部幅19メートル、先端幅29メートル、高さ2.5メートルの前方部が続く。後円部の墳頂は径14メートルの平坦面である。後円部には葺き石が葺かれ、斜面には段があり上層の縁に円筒埴輪の列が二段巡っていたとされる〔勝部昭「スクモ塚古墳」参考文献の『図説 日本の史跡3 原始3』(1991年)117ページ〕〔財団法人観光資源保護財団 『全国史跡総覧<西日本編>』 柏書房、1978年、347頁。〕。さらに方形部の両側に直径10メートル、高さ2.5メートルの小さな陪塚が存在していたことが確認されているが、ほとんど消滅している〔。 名前の由来は、不要になった籾殻を積み上げでできたという伝説による〔http://map-city.com/area/shimane/masuda/32204a011/32204a011.htm〕。 この地を治めた豪族である櫛代族の首長宿彌の墓として5世紀頃に築造されたと推定されている〔ゼンリン 『郷土資料事典 ふるさとの文化遺産 32(島根県)』 人文社、1998年、139-140頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スクモ塚古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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