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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スクールメイツ(''School Mates'')は、俳優やタレントを育成する(有)東京音楽学院〔東京都荒川区に本校を置く東京音楽学院とは別法人である。〕の選抜メンバーで構成された芸能グループである。NHKで使用した別名としてヤングメイツ がある。 ==概要== 1962年、渡辺プロダクションの渡辺美佐(現・名誉会長)が欧米研修から帰国した時に「本格的なジャズ・ポップスの合唱団をつくり後継者を育てたい」と提案。その翌年1963年、東京音楽学院が発足した。その中から優秀な生徒を集めて1964年に結成されたのが「スクールメイツ」である。 名付け親は岡元義亮で、初代リーダーは岡田光弘が務めた。 講師として作曲家の宮川泰・東海林修・森岡賢一郎・服部克久、振付師の西条満・土居甫ら錚々たる面々が名を連ね、充実したレッスン環境が整えられていた。 当初は地方からの入学希望者も多く、1960年代後半~1970年にかけて全国各地(名古屋市、大阪市、福岡市、広島市など)に系列地方校が誕生し、そこから今日の芸能界を支える多くのスターを輩出(1968年には既にNHK紅白歌合戦のバックダンサーとしても活動していた〔第19回NHK紅白歌合戦でのザ・ピーナッツの「ガラスの城」歌唱時にこの衣装でバックダンサーとしてスクールメイツが踊っていた。NHKに保存されている同番組の映像で確認できる〕)。 同時期のジャニーズ事務所と、渡辺プロダクションの若手タレントやスクールメイツが共にレギュラー出演していた『プラチナゴールデンショー』では、毎回番組の終わりに「あなたもフォーリーブスと共演しませんか?」と、各系列校の生徒を募集する字幕を流していたこともあり、入学者数はうなぎ上りとなり、最盛期には約400名にまで膨れ上がった。 なお、そのフォーリーブスのメンバーである青山孝は、ジャニーズ事務所に移る前はスクールメイツに在籍し、「若いってすばらしい」のレコーディングメンバーでもあった(フォーリーブスが1974年に発表したアルバム『若者』にも、スクールメイツのナンバーである「恋のランナー」が収録されている)。また、西条満やスクールメイツとの関わりはフォーリーブス再結成後も続いている〔フォーリーブス残り公演 ター坊も“参加” - スポニチANNEX〕。 1970年には大阪万博のオープニングイベントにも参加。そこで渡辺美佐プロデュースにより「女子メンバーがテニスルックでポンポンを持って踊るスタイル」が確立した。 1977年からスタートしたフジテレビ系のバラエティ番組『ドリフ大爆笑』では、オープニングのバックダンスも担当。同番組は歴史が長いこともあり、1983年度のオープニングで出演したスクールメイツメンバーの娘が、2003年度の新オープニングに「現役のスクールメイツメンバー」として出演。親子二代に渡りザ・ドリフターズとの共演を果たしている〔お笑い芸能ニュース ドリフ結成40周年でリニューアル 〕。 2001年、渡辺プロダクションの再編成を受けて(有)東京音楽学院は独立。 2016年現在、同学院の選抜メンバーグループとしての「スクールメイツ」は健在である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スクールメイツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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